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読書中の『古都』について
最近、読書の秋なのか結構本を読んでいる。前回紹介した本もそうだが、今回は今読んでいる本を紹介したいと思う。今読んでいる本は川端康成『古都』で、まだ前半の部分を読んでいる。下に引用したのは冒頭の部分「春の花」の出だしで、千重子が古木の幹にすみれの花が咲いているのを見つけたところを綿密に感情豊かに表現している。
もみじの古木の幹に、すみれの花がひらいたのを千重子は見つけた。
「ああ、今年も咲いた。」と、千重子は春の優しさに出会った。
そのもみじは、町なかの狭い庭にしては、ほんとうに大木であって、幹は千重子の腰まわりよりも太い。もっとも、古びてあらい肌が、青くこしむけている幹を、千重子の初々しいからだとくらべられるものではないが……。
もみじの幹は、千重子の腰ほどの高さのところで、少し右によじれ、千重子の頭より高いところで、右に大きく曲がっている。曲がってから枝々が出てひろがり、庭を領している。長い枝のさきは重みで、やや垂れている。
大きく曲がる少し下のあたり、幹に小さいくぼみが二つあるらしく、そのくぼみそれぞれに、すみれが生えているのだ。そして春ごとに花をつけるのだ。千重子がものごころつくころから、この樹上二株のすみれはあった。
上のすみれと下のすみれとは、一尺ほど離れている。年ごろになった千重子は、「上のすみれと下のすみれとは、会うことがあるのかしら。おたがいに知っているのかしら。」と、思ってみたりする。すみれ花が「会う」とか「知る」とかは、どういうことなのか。
この冒頭に続くこれからの展開はどうなるのか、期待させるものとなっている。上のすみれと下のすみれとは? 千重子はこれから何に出会っていくのだろう。
私は川端康成の情景描写が好きだ。難しい表現を簡単に書いてしまうこと、柔らかく美しい表現。これからも少しずつでも川端作品を読んでこの感性を少しでも享受したい。