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「親知らず抜歯」という通過儀礼

僕は大人になる。

最近、親知らずを抜いた。
生えてきていることは、ずっと認識していたが、重い腰が上がらず、最近やっと歯医者に行った。

いざ抜くことが決まると、恐怖しかない。
歯を…抜かれる…?
抜歯…?
バッシ…?
普通に考えておかしい。激痛必至だ。
もう頭の中は親知らずの恐怖に包まれている。

こうなったら、誰かと話すしかない。
周りにいる大人に片っ端から、親知らずを抜くことを話し、親知らずトークをした。

そこで、気づいた。

世の大人たちのほとんどは親知らずを抜いている。
親知らずを抜く恐怖を乗り越えている。
誰と話しても、各々自分の「親知らずトーク」を持っている。


すごく昔の時代には、大人になる通過儀礼として、歯を抜くというのがあったと聞いたことがある。
それを聞いた時、なんのためにそんなことをするんだと思っていた。


今、まさに抜歯とは大人になることだと感じている。
「親知らずトーク」をする人は、みんなとても大人に見える。
恐怖を乗り越え大人になった人だからだ。


まだ抜歯をしていない僕は子どもだ。
まだ自分の「親知らずトーク」を持っていない僕は青二才だ。

ぐずぐずといろんなことを考えながら、恐怖と闘っていると、
無情にも抜歯の日はすぐ来た。



椅子に座らされ、麻酔を打たれる。
もういっそのこと全身麻酔をしてくれ、俺の意識を飛ばしてくれ、
そんなことを考えていたら、コツコツと歯医者さんが近づいてくる。
怖い。逃げたい。怖い。

「はーい、抜いていきますね〜」


2秒だった。
歯を抜かれる時間は。

「はーい、抜いていきますね〜」
メキメキ
終了。

痛くなかった。メキメキだけだった。



歯医者を出た足取りは軽い。僕は晴れて大人になったからだ。

大人になったと感じることは、これまでいくつかあった。

一人暮らしを始めた日。
親戚にお年玉をあげた日。
初任給でエビスビールを買ってみた日。

そんな時より大人になったと感じる。

街ゆく大人から歓迎されている気がし、街ゆく若者には、心の中で「抜歯…痛かねえぜ、メキメキだぜ。」と語りかける。

軽やかに家に帰りつき、
そして現実を噛み締める。


抜歯、あと3本残ってる。

大人への道のりは長い。


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