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襟裳の風#5
私が三歳のころ(昭和二十九年頃)の十月のある日の早朝、三時頃だったろうか。
地震による津波が押し寄せてきました。家族五人で着の身着のままで裏山に避難しました。
母が大きな声で「みんな逃げろ!」と叫んだそうです。家から出たら直ぐ黄金道路。その道路に大きな波が迫ってきたのです。着の身着のままで家族全員六人裏山に避難しました。
津波は怖い!
あっという間に根こそぎさらわれます。
暗闇の中、子供達の乳のために飼っていた山羊を置き忘れました。
遠くの波間で山羊の鳴き声がしていました。当時の私の記憶は殆どありませんが、鳴き声だけをいまだにおぼろげながら覚えています。
家屋はかろうじて波にさらわれなかったのですが、よくも五人無事であったと、皆で安堵しました。
次の日から庶野にいる父の母親の家で暮らすことになりました。
暫くその家にいて、また白浜の家に戻りました。
その後、四人目の三女が生まれ、一家六人になったのです。
裏山に逃げた時から六年後の昭和三十五年、あのチリ地震の際の津波で、私達が住んでいた家は跡形も無く海の藻屑と消えたそうです。そのときは既に私の家族一家は、襟裳から夕張に引越ししていました。
時が移り、平成二十三年(二〇一一年)三月十一日に東日本大震災マグニチュード9の大地震・大津波で多くの尊い人命が奪われました。非常にショッキングで痛ましい出来事でした。
令和六年(二〇二四年)の今年の元日、夕方の四時十分ごろ、能登半島地震があり、津波も発生して、能登の人々の大切な正月、その後の日常が奪われました。
お亡くなりになられた方に対して、心よりのご冥福をお祈りするとともに、被災された方々に一日も早い心の復興をと祈ります。
海が荒れた後、海岸に泡が海岸いっぱいに押し寄せてきました。その泡が風で飛ばされ、シャボン玉が沢山舞っていると錯覚したものです。
飛んできた泡が家の窓ガラスにへばり付くこともありました。
時々、海ガモが玄関前の海辺に漂っていました。
色艶が綺麗で印象に残っています。
ゴメ(ウミネコ)よりも海ガモの方が、私には印象深いです。