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エッセイ「ヤリキレナイ川」

 札幌から夕張に車で向かう途中、由仁町あたりで『ヤリキレナイ川』という看板を見かける。
 小さな川のようだが、それでも一級河川である。
 語源は諸説あるがアイヌ語で「魚が住まない川」(ヤンケ・ナイ)や「片割れ川」(イヤル・キナイ)と云われている。 
また、大雨の度に氾濫して家々や農地に被害を与え、地元住民にとって遣り切れない状況であったため、明治の頃から「ヤリキレナイ川」と呼びはじめたという。

 世の中、ヤリキレナイことが多い。毎日のように殺人事件の記事が新聞の社会面に載る。暗い世相を反映しているのだろうか。

 話は変わるが、あさみちゆきの曲に『青春のたまり場』というのがある。

カサカサに乾いた街は汚れ、青春のたまり場には今は閑古鳥が鳴いている もう直ぐ閉店するその店でかけがえのない時代を過ごした仲間が、 もう一度その場所で会いませんか、そしてマスターにさよならを言いませんか


 昔遊んだ仲間のその後の生き様を描いた曲である。その曲を聴いていると、若かりし時代の頃を思い出し、ヤリキレナイ気持ちとやるせない気持ちとがまぜこぜになってしまう。

『ヤリキレナイ』の意味合いには二つあるようだ。がまんできない、耐えられない、の意味もあるようだが、どうもしっくりこない。このしっくりこないところが、ヤリキレナイといえるかもしれない。

 話題を変えて、
 昔、真狩村を車で走っていたとき、『ゆっくり、まっかり、北海道』という看板があった。緩い下り坂で軽く右に曲がっている道だった。
 その道端に自立式のその看板があった。
 交通事故が年々増加しているため、地元の方々が考え、リズム感よろしくドライバーの心にすんなり入る交通事故防止の立看板を作ったのだろう。なかなか気に入った標語である。
 真狩村は演歌歌手の細川たかしの故郷でもある。真狩村を流れる川縁かわべりの公園に、細川たかしの等身大の像があり、冬はチャンチャンコを着ているとか、聞いたことがある。真狩村が生んだ国民的演歌歌手である。
 彼が若かりしとき、札幌のすすきのでギター片手に居酒屋を流していた頃は苦労したらしい。何度もヤリキレナイ気持ちになったのだろうと想像する。

 人間若いときは苦労を買ってでもせよと昔の人は謂った。
 いまは文明が発達して便利な世の中になり、物質的には恵まれた日常を過ごせる。苦労とは、物質的にも精神的にも苦しいと思うことが続き、その苦しみに耐えることで、深みのある燻し銀に近づくのではと考える。
 日本刀でも名刀といわれるものは、何度も叩かれ、不純物を排出し、強固で切れ味の良い、しなやかな名刀となるようである。
 人間この一生、苦労を重ねながらも真面目に正直に、他人に少しの思いやりを持って生き抜くことが、素晴らしい生き様ではないだろうか。生きざまが死にざまだとつくづく感じる。

 脱線したついでに、真狩村のことでもう一つ。
 以前、羊蹄山に登った帰りに真狩温泉に寄り、登山の疲れを癒した。素晴らしい温泉である。湯冷めをして気分が悪くなり、少々脱衣所で休んだ思い出がある。
 羊蹄山は単独峰である。ひぐまなどは生息しない。登山道が真っ直ぐで、緩やかな蛇行ではないため、疲れた。
 九合目の避難小屋は宿泊客が多く、前の晩はあまり寝付けなかった所為もあり、疲れきったところで温泉に入ったので、気分が悪くなったようだ。
 楽しい登山が最後で躓いてしまった。なんともヤリキレナイ気分ではあった。

 話が脱線ばかりで、何ともヤリキレナイ心境ではある。
    

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