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短編小説 晩景の花火(2)

 裕の父は腕のいい大工職人だった。頑固一徹の父は、家では威張り散らし、酒を飲んではいつも母を怒鳴っていたが、母が三十五歳の若さで他界してからは、魂を抜かれたように、元気がなくなっていった。
 母は、仕事に出かける前、新聞配達のアルバイトをしていたが、真冬の早朝、坂道で足を滑らせて、雪道の固い道に頭を強く打ち、帰らぬ人となった。
 それまで、何かと母を叱り飛ばしていた父は、一日中畳縁とにらめっこしていた。見るも哀れな姿になってしまった。母あっての父だった。その父も、母の後を追うように、その二年後に旅立ってしまった。残されたのはひろしを頭に二人の妹たちだった。
 妹二人は、それぞれ、近くの子供のない親戚の家に預けられた。
 裕は児童養護施設に入所した。そこで中学卒業まで生活し、その後、夜間の高校に通った。昼間は同じ町の、宿泊を兼ねた鋳物工場で働き、夜は眠い目をこすりながら勉強した。そして夜間の高校を一九七二年(昭和四十七年)の春卒業し、東京にでた。裕十九歳の年だった。
 
 両親が亡くなってからの裕の生活は、他人に気を使い、田舎の狭い世間から白い目で見られることに、嫌気が差していた。どうしてこうなってしまうのか、日々煩悶した。また、二人の妹たちが不憫でならなかった。
 自分には、まだ可能性がある。寒々とした街にいるより、いっそ大都会に出て、なにかに挑戦してみよう。チャンスはあるはずだと無謀にも裕は考えた。
 その街を出ることを決めた裕は、親戚の家に預かってもらっていた妹たちを訪ねた。そして、親戚に頭を下げて、妹たちを頼んだ。それぞれ二軒の親戚は、裕を労わるどころか、冷たい態度だった。
 悲しげな二人の妹と別れて帰路、裕は流れる涙を拭おうともせず、唇を強く噛み締めた。俺は負けない。東京に出て、どんな辛さにも耐えてみせると強く決意した。
 
 長岡から電車に乗り、上野に着き、御徒町を歩いた。人の多さには閉口した。裕は高揚感と不安のなかで、初めて見る、東京の姿に酔った。
 裕は、東京の様々な場所を放浪した。
 上野公園の西郷像を眺めながら、買い求めた弁当をたべた。
 その日は上野あたりを放浪し、西郷像の近くのベンチで寝た。
 次の日は、上野から山手線で東京に出た。やはり人が多い。
 銀座では、日本の上流階級の紳士や淑女のような人が、大勢歩いていた。
 田舎育ちの裕は感じた。田舎と東京では、なぜか空気感が違うと。
 その日の夕方、また山手線に乗り、新橋で下車。ラーメン屋に入り、麺を啜った。その晩は、新橋三丁目の公園のベンチで寝た。五月初旬の朝晩の冷え込みは裕の体に堪えた。
 三日目、若い裕もさすがに疲労の色が顔に漂っていた。
 仕事を探さなければと思い、様々なところを歩いた。
 これといった伝手があるわけではない。また、自分がどういう仕事に向いているのか、明確な目的もなかった。
 裕は無謀な行動を悔いた。しかし、長岡に帰ることもできない。前へ突き進むしかなかった。
 


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