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tutuken5
ゴメが啼くとき(連載27)
文江は、炭住街の人々の生き様をいやというほど見聞きしてきた。
満足に学校も行けず、文字もカタカナしか書けないが、図太く生きる、また他人と接する知恵だけは、誰にも負けなかったのである。
文江の一番下の子供、有子が札幌で所帯を持ち、父母を札幌に来るよう何回も説得した。
その後、夕張から札幌の有子家族と同居するため、夫の神田勇と文江夫妻は札幌に越した。平成十年(一九九八年)、文江六十九歳の時であった。
文江の子供で二女の梨津子は、その後所帯を持った岩見沢で、三人の男の子を残し、平成十八年(二〇〇六年)がんで亡くなった。五十一歳の若さだった。
長男の巌は、一人息子だが、父親に似て、甘えん坊で頼りない男である。所帯を持って内地で暮らしている。
長女の陽子は文江同様、様々な辛酸を舐めながらも、たくましく生きている。