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短篇小説(連載)星堕ちる⑦

 昭和十六(1941)年の元日、新しい年が明けた。
 二人は土屋家に、新年のあいさつに行った。
 長女のツネが二人を出迎えてくれた。屠蘇を戴きながら、二人は土屋家の皆に挨拶をした。
「吉蔵さん、今年もお願いします」と主人の儀一が頭を下げた。
 吉蔵は恐縮した。そして、
「ご主人、頭をあげてください。こちらこそよろしくお願いしますだ」と深々と頭を下げた。次郎は二人のその姿を傍で見ながら、なぜか、温かみを感じた。

 昨年末から土屋家のお婆さんの体調が優れず、その日も寝たきりの状態であった。吉蔵と次郎は、お婆さんの部屋に入り挨拶をした。その部屋は母屋の玄関を入ってすぐ右にあった。布団に横になっていたお婆さんは、起き上がろうとするが、既に九十を超えた年である。吉蔵は「おばさま、無理をしないでそのまま」と言った。お婆さんは今にも消え入りそうな声で、
「吉蔵さん、それに次郎も来てくれたか。ありがたいね。お世話になります」と白髪頭を下げた。
「おばさま、早く良くなってくれよな」吉蔵は心底から話し掛けた。おばあさんの眼からスーと一筋の涙が流れた。
 いつの間にかツネが部屋に入って来ていた。
「おばー。吉蔵さんと次郎さんが来てくれてよかったね」
「うん」とお婆さんが涙を拭いながら頷いた。
 
 吉蔵と次郎は、土屋家を後にして、正月から開いている温泉場へ向かった。その日は朝から抜けるような晴天だったが、寒さは尋常ではなかった。
 二人は震える体を野天湯に肩まで浸かった。吉蔵が「うーん、良い湯だ」と唸った。次郎も気持ちが良かった。
「次郎、どうだ。少しは慣れてきたか」
 湯につかりながら次郎は、
「おどうの仕事を覚えようと必死さ。なんとかここまできた」
「そうか、飽きっぽいお前の性格なのだが、よく我慢してここまできたな」
「おどう、おだてちゃならねえ」
「人間、おだてられたら、気持のいいものだべ」
「サルも木に登るというしね」
 ふたりは、大きな声で笑いあうのであった。
 

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