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短篇小説 晩景の花火(22)

 その日は金曜日で、午前中で仕事を切り上げ、新宿駅の売店で弁当を買った。午後零時四十分過ぎの小田急線ロマンスカーに乗車するまで、まだ若干の時間があった。改札を潜り、左方にあるカフェテラスに入った。ほどなくして一番線に停車していたロマンスカーに乗車した。
 指定された席に座った。早速弁当を頬張る。おかずが仕切りごとに並んでおり、女性が好むように一つの仕切りの中の量は少ないが豪勢に見える。見ているだけで幸せ気分になれた。
 裕は文庫本をバックから取り出し読み始めたが、なぜか集中出来ない。その本を仕舞い、外の景色を眺めた。金曜日の午後の早い時間のせいもあるのか車内は空いていた。
 小田原に着いた。到着ホームから長いエスカレーターを登り、改札を出ると、左側に天井からぶら下がった大きな小田原提灯が目に飛び込んできた。JRの改札を潜り東海道線に乗り込む。熱海で伊東線の各駅停車の列車に乗換え、二十五分ほどで伊東に着いた。
 午後三時過ぎ、旅館に行くまで間があったので、商店街をぶらついた。夜は早くにシャッターを下ろす店が多いと、タバコ屋の女性が教えてくれた。
旅館に着き、夕飯まで時間を潰すつもりで、国道を挟んですぐの海岸を散策した。やはり海はいい。真正面からやや右手奥に初島が見える。珍しい小石を探す。波打際を探したが、砂地であまり見つからない。様々な物が打ち上げられていた。世界はすべからく繋がっている。
 旅館に戻ると、部屋に夕食の準備がしてあった。小さなアワビがテーブルに鎮座していた。固形燃料に点火して蓋をした。最後に食べようと他のご馳走から箸をつける。河豚の刺身かなと思いきや鯛を薄く切り大皿に綺麗に並べられている。箸でその薄く切り綺麗に並んでいる刺身を削ぐようにすくい、醤油に付け一気に口に運ぶ。伊勢エビも小柄な姿をしている。
 早い晩飯を済ませたあと、裕は駅前まで散策することにした。あちらこちらで、シャッターを閉め始めていた。駅前からの通りを左に入った路地に、幾分大きめな喫茶店がまだ開いていたのでそこに入った。正面の壁に大型のテレビが据えられており、プロ野球を放映している。その右奥のテレビがみえる席に年の頃三十歳代後半の男性が、麦酒を飲みながら肉野菜のような物を食べている。若い女性もカウンターとその席を行き来している。小さな女の子もその男性の隣席に座っている。たぶんこの喫茶店の家族だろうと考えた。その男性は昼間会社勤めをしていて、その奥の席でテレビ観戦をしながら晩飯を食べているのではと想像した。
 珈琲を注文して、啜りながら、次女幸恵のことを考えた。大層苦労しただろうと思うとひとりでに涙が頬を伝わった。その日出がけに妹に電話を入れたが、留守電だった。明日の朝また電話を入れようと思いその店を出た。辺りはすでに暗くなっていて、伊東駅前は、帰りを急ぐ通勤客が足早に歩いていた。駅から五分ほど下って旅館に着いた。裕は浴場に出かけた。ゆったりと湯に浸かっていると都会の喧騒が夢のように感じられ、頭の中は空っぽで、何も考えることもなくボーと浸かる至福感にしばし無我になった。
 次の日は土曜日だった。朝食のあと、裕は次女幸恵の携帯に電話した。繋がった。一瞬どう話したらいいか言い淀んだ。
「はい、細田ですが」とか細い声が聞こえた。
「裕です」
「お兄ちゃん・・・・今どこ?」
「いま伊東に来ている。今日仕事、やすみかな?」
「今、会社に着いたところ。小田原まで通っているの」
「帰りは何時ごろになる?」
「そうね、私、ディサービスに勤務で、夕方まで仕事だし。六時ごろになる」
「判った。そうしたら、伊東駅に着いたら電話して。その時に・・」
 そう言って裕は電話を切った。その時、なぜか込み上げてくるものがあって感動に身を震わせた。
 さて、夕方までどうしようかと考えた。駅前の観光案内所で、パンフレットをもらい久々の観光と相成った。

 夕方、駅前に戻った裕は、午後五時半から駅前で立ちん坊をした。
 六時前改札口から幸恵と思われる女性が、こちらに向かって歩き出した。
 思い返せば裕が夜間高校を卒業した年、彼は十九歳、幸恵は確か十四歳だったはず。三十二年ぶりの再会だった。血のつながりはすごいものである。
 三十年以上も離れ離れになっていても、お互い判り合える。
 二人は、駅から海岸に向かった下り坂にある喫茶店に入った。昨夜裕が入って珈琲を頼んだ店である。昨夜のように大型のテレビの前の席に、ここの主人と思しき男性が、麦酒を飲みながらテレビを観ていた。他に客はまばらだった。
「兄ちゃん、長岡を出てからちっとも連絡をくれないもんだから、私達はどうしたものか気をもんでいたのよ。今どうしているの?」
「僕か? 今東京に住んでいる。小さな不動産業を引き継いでやっている。
 原宿に二店舗のブティックを出し、新宿歌舞伎町に店を二店出している。
 幸恵に言っておかなければならないのは、僕は細田から東郷になった。養子にいった。事後報告になってしまった。申し訳ない」
 幸恵は、兄の話をじっと聞いていた。おなじ兄妹でも、兄はずっと遠くに行ってしまったように感じたらしかった。
「そうなの。私はもう四十六歳、未だに独り身。過去に好きになった人はいたけど」と幸恵は冷めた珈琲を啜った。幸恵の来ている衣服やバックから、幸恵の生活を想像した。
「生活の方は大丈夫か?」
「ギリギリ何とかやっているわ」
「そうか」と幸恵の顔をじっと見つめた。死んだ母親を思い出した。薄幸な母だった。二人は昔の長岡での生活を思い出し、話し合うのだった。
 別れ際、裕はそっと茶封筒を幸恵に渡した。幸恵は最初拒んだが、無理やりバックに押し込んだ。
「兄ちゃん、ありがとう」
「いいのだよ。何かあったら連絡くれ。僕たち血のつながった兄妹だもの」
 その言葉を聞いた幸恵は、目を伏せた。
 その後二人は、別れた。
 
 東京に戻った裕は、仕事に忙殺された。特に不動産業界の変化は日本経済の影響をもろに受けやすい。その対応で裕は毎日くたくただった。その日々の中でも、いつ長岡に行くか、計画を立てた。
 
 月日の経つのは早い。幸恵に会ってから既に一年になろうとしていた。
 その年の暮れ、裕は新潟行きを決行した。長岡にいる長女の光恵には連絡を入れてあった。
 皆は、長岡市内の「昇龍」という中華料理店に集まってくれていた。甥や姪をいれ大人数で裕を迎え入れてくれた。終始和やかな雰囲気での再会だった。
 

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