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短篇小説(連載)忘却の文治(11)
佐渡から戻った文治は、その後、半年ほど、家で過ごした。
ある日の夕食のあと、妻の和子から旅行の話がでた。文治は、(ついにきたか)と、少々緊張気味に対峙した。
「あなた、今度二人で旅行にでも行かない?」
「そうだな。お前と二人で旅行することは無かったからな。行ってみるか」
「じゃ私が段取りするわ」と和子が嬉しそうに話した。そして言葉を継いだ。
「あなた、どこへ行きたい?」
「そうだな・・。東北でもいこうか。五月の東北は新緑でいいかもな。ただ、桜は散ってしまっただろうな」
「もう少し暖かいところがいいわ」と、和子が言った。
「じゃあ、沖縄にでも行ってみるか」と文治が言うと、和子は微笑み、
「そうしましょう」と、あっさり目的の場所が決まった。
「和子、段取りはお前に任せた」
「はい はい」と和子が台所に立ちながら応えた。
文治は旅行先で妻になにかサプライズをしようと、思いついた。どういうサプライズがいいか考えた。ちょくちょく顔を出す一人娘に聞いてみようと考えた。四十歳になる彼女は結婚して近くに住んでいる。子供が二人いるが、男女のふたりともいまは独立している。
ある日の午後、文治は和子がそばにいないところで、娘のかおるにスマホで連絡した。
「かおる、話があるんだが」
「どうしたの? お父さん」とかおるが、電話の向こうで聞いた。
「商店街のなかほどにある喫茶店、名前何と言ったかな」
「ルナでしょ」
「そうそう、そこで夕方の四時にどう?」
「四時だったら時間的に空いているわよ。お母さんも一緒?」
「お母さんには内緒の話」
「お父さん、なにか企んでいるでしょう」
「あったとき相談する」と言って、文治はスマホの通話を切った。
文治はルナで娘のかおると会った。
「お父さん、どうして私をここに誘ったの?」
「家では相談しづらいからさ」
「その相談って?」
「長い間、母さんと所帯を持ってから旅行にも連れて行かなかった。それで今度、沖縄に二人で行こうと思ってね」
「いいな、子供たちから手が離れたし、私も行きたいな」と、かおるは冗談とも本気ともつかないことを言った。文治は珈琲を啜りながら、
「沖縄旅行先で、母さんに何かプレゼントしようと思ってね」と話すと、かおるは、
「お父さん、粋なこと考えたのね」と言いながら、考えを巡らせた。
暫く間をおいて、かおるは、
「旅行先だから大きなかさばるものはダメでしょ。例えばバッグとか装飾品とかがいいのでは? ところでお父さん、予算は?」
「軍資金も少なくなったからな。でも母さんにいままで何も買ってあげなかったからな」
文治がそういうと、かおるが、
「いまの言葉をお母さんが聞いたら、涙を流すかもね」と言った。そして言葉を繋いだ。
「どうしてその気になったの? なにか後ろめたさでもあるの?」
「ただ単純にそう思っただけだよ」
「そうしたら、ダイヤの指輪でも送ったら? 来週でもお父さんと一緒に上野御徒町に行こう。宝飾品の問屋街だからね」と、決めてしまった。