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ゴメが啼くとき(連載28)

 文江と夫の勇が、札幌に来て早や五年の歳月が経った。
 五月のゴールデンウィークを利用して、文江夫妻は、日高地方に旅行に出かけた。
 文江は、彼女が小さい時、様々な辛酸を舐めた地を訪ねることに、躊躇したが、子供の勧めもあり、ふたりで襟裳のフンコツ(白浜)に、やってきたのであった。

 黄金道路(国道336号線)の襟裳岬から広尾に向かう途中の望洋台(昭和五十七年造成)のベンチに座り、老夫婦は寄り添うように白浜・目黒方面の海岸線を眺めていた。
 二人はその年(平成十五年・二〇〇三年)勇、七十七歳、文江、七十四歳になった。
 その広場には『日高山脈襟裳公園 黄金道路』(2024年に国立公園)と書かれた石碑とベンチが一つあるだけの、殺風景な広場である。

 文江は幼いころ庶野の学校の帰り、よくこのベンチに座り、勉強したことを思い出していた。
 時にはここで、悔し涙を流し、絵本「孝女白菊」を眺め、白菊の衣装に憧れた。
 当時の彼女の心には、自分の将来を想像する余裕すら、無かった。

 上空には一羽の鳥が弧をえがいて飛んでいる。空には雲一つない。
 長い冬を通り過ぎ、春花がちらほら咲く季節となった。しかしまだ、頬を撫でる風は冷たい。じっとしていると足元が冷えてくる。

 北海道の冬は長い。長いからこそ、春のための充電と鍛えの時なのだ。必ず来る春に向かって挑む。やがて、時至れば花咲き、春が必ずやってくる。

 ふたりは昨日、札幌から鵡川でJR日高本線に乗り継ぎ、様似駅まで来た。そして、様似から広尾行きのバスに乗り、襟裳灯台口で下車、歩いて数分のところにある旅館に一泊した。
 日高線はその後、平成二十七年(二〇一五年)一月の暴風雪による高波の被害を受け、鵡川から様似間が不通になり、令和三年(二〇二一年)四月一日に廃止となっている。
 当時はまだ様似まで鉄道が来ていたのである。

 文江はその旅館で、過去に体験したおぞましい出来事を、思い出す。

 

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