日本野球の歴史#7
江戸時代、寛永から正保、慶安にかけて旗本奴に「変名組」がありましたが、これをチーム名にしたら如何かと思うくらい、変わった名前の選手が集っておりました。
白木、黒尾、赤根谷、熊耳、一言、長持等であります。赤根谷は名も凄い。飛雄太郎です。星飛雄馬のモデルかも知れませんね。
セネターズは昭和二十二年、東急の傘下となり東横セネターズとなり、その後東急フライヤーズと変わりました。
野球好きの大川博が東急専務から東映社長になった期に、東映フライヤーズとなりました。
その後、映画が衰亡し不動産屋に身売りされ日拓ホームフライアーズとなり、不動産屋も道楽ができる余裕がなくなり、肉屋が買い取って日本ハムファイターズとなり、現在に至っております。