短編小説「別杯」7
その後何度か、毎週水曜日の午後二時ごろ三人が、公園に集まって、小一時間ほど、だらだらとウォーキング(というよりも散歩)をしたのであった。ウォーキングが終わってから、まっすぐ帰ったためしがない。必ず行きつけの喫茶店で珈琲を飲み世間話をするのだった。
ある日、カラオケ屋の蛭間さんが、「最近、アルバイトに、若い子を雇ってね」とニコニコ顔で話した。
榎さんが、「また、その子にちょっかいかけているのか?」
「滅相もない。今は純朴青年だよ」
思わず私は、大笑いしてしまった。蛭間さんの話はそこで終わらなかった。
「その子の出身が、北海道のえりも町なんだ」
「えりも? そこ何処?」と榎さんが聞いた。
「北海道は広いな。襟裳岬は知っているよな」蛭間さんが聞く。
「ああ、知っている。若いころ、一度行ったことがある。いわゆるカニ族というやつで、北海道をぐるりと廻ったことがある。たしか、襟裳岬にも行ったな。何もないところでね。風が強かったな......…」と榎さんが言う。
「そうそう、鈴木さんは確か北海道の生まれだよね」と榎さんが私に尋ねた。
「その、えりも町出身だよ」と私が笑いながら言うと、
「ところで、今年の九月中旬ごろから、えりも町でウニが採れなくなっているらしいぞ。そのえりも町からきたお嬢さんが言うには、最近、エゾバフンウニ(地元ではガンゼという)が全滅してしまったらしい」と蛭間さんが言う。
「そういえば、最近のテレビのニュースで報道されていたな」と榎さんが言った。
私は、そのことを知らなかった。お恥ずかしい限りだ。
早速家に帰ってから、新聞記事を捜したが、既に妻が古紙回収で出してしまったらしい。
次の日、区立の図書館に行き、新聞を手あたり次第調べた。そしたらあった。某新聞の十月末の新聞にその記事はあった。
‥‥北海道東部の太平洋沿岸では、今年九月中旬ごろから、赤潮の発生が原因とみられるウニやサケなどの大量死が相次ぎ漁業に深刻なダメージをあたえている・・・というものだ。
私(鈴木)が生まれ育った襟裳岬でウニが壊滅状態は他人ごとではない。
昨年(二〇二〇年)の十月にカムチャッカ半島沿岸で発生した植物プランクトンが、親潮に乗って南下、北海道の東沿岸に流れ込んできたのだ。九月二十日釧路で赤潮の発生が確認された。その後厚岸、根室、釧路、十勝、日高地方の広範囲で被害が拡大している。
現在(二〇二一年十一月)で約八十億円超の被害額になっている‥‥。
という内容だった。
だが、ウニは、漁業共済制度による助成からは外されているらしい。その理由は天然採取だから。
サケも近年不魚が続いているが、補償額が低く事業継続が難しいだろう。国は、具体的な救済策を打つ必要がある。
また最近、小笠原諸島の海底火山の噴火で大量の軽石が奄美群島に漂着して、漁業への影響が出ている。連日報道されている。漁船のエンジン冷却装置に軽石が入り、エンジントラブルになっている。また、餌と間違えて飲みこみ死んだとみられる魚も確認されている。今後その軽石が黒潮に乗り、伊豆半島近海に接近してくることも懸念されている。
ところでウニは生育期間が三~四年もかかる。えりもの漁師は再起できるだろうかと私は心配になった。
私が幼い頃、家の前の海岸でガンゼを素手で採り、海水で洗って口に入れたものだ。誠に美味かった。
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