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短篇小説 晩景の花火(18)
そのようなある日、裕のもとに思いがけない連絡が入った。夜の十一時を回っていた時刻だった。その日は昼間、スナックカサブランカの客数人と、千葉のゴルフ場で店のゴルフコンペで出かけていて、自宅に着いたのが夜の八時ごろだった。裕は気疲れしたのか、帰ってくるなりベッドに横になり、その後寝入ってしまった。
電話の着信音がした。それで目が覚めた。友子からだった。
「マスターたいへん! お店が燃えている」
「なに? どうした!」
「ビルが火災で、お店が燃えているのよ」
「けが人はいるのか」
「私達は直ぐ逃げたけど、店内にいた客の二人が、まだ見つからないの。私どうしたら」とすすり泣く声がした。
「いま直ぐ向かう」と裕が着替えていると、東郷光子が起きてきて不安げに裕に、
「裕ちゃん、どうしたの」
「店が燃えているらしい。お母さん直ぐ行ってくる」と言いつつ、裕の鼓動が高鳴っていた。
落ちつけ、落ち着くのだ。と裕はタクシーに乗り込んだ。気が急いた。
ビルの廻りには規制線が張られ、カサブランカが入っているビルには近づけなかった。火災はカサブランカが入居している五階建ての雑居ビルの三階と四階の非常階段付近から出火したようだった。カサブランカはそのビルの四階にあった。
当日の晩、裕は友子とパートの女性に店をまかせていた。
その日に限って、閑散とした店内だった。そろそろ店を閉めようとした矢先、すでに相当酩酊した一見の男性の客二人が入店した。もうすぐ閉店ですと断ってもよかったが、当日の売り上げが無かった友子は、その客を受け入れたのだった。
その二人が、とんでもない客だった。パートの女性の体に触るやら、下劣な言葉を吐き、ほとほと嫌がっていた矢先、キナ臭い匂いが店内に充満しだした。
とっさに友子は、店内にいたその客の避難を始めたが、その二人は友子の話を聞かず、ただ座って喚いているだけだった。
ここにいては死んでしまうと感じた友子はやむなくその客を店に残したまま、パートの子とふたりで、まだ稼働していたエレベーターを使って、一階までたどり着いたのだった。二人はかなりの煙を吸っていたが、命に別状がなかった。そして裕に連絡したのだった。
そのビルの一階にはコンビニ、二階がマージャン店、三階にはセクシーパブ、そして四階がカサブランカ、五階にそのビルのオーナーが住んでいた。
三階のセクシーパブ従業員の女性五名、そこの客十名。四階のカサブランカの客二名、五階のビルオーナー家族二名のあわせて十九名の命が奪われた。
出火原因は放火とみられたが、犯人の特定には至らなかった。ただ、三階から四階に至る非常階段に段ボールなどが無造作に置かれ、通路を塞いでいたことが問題視された。また防火扉が日頃開放されていた。火災時その防火扉がうまく作動しなかったことも煙の回りを早めたことが判った。
裕は友子とパートの女性と警視庁で事情聴取を長期にわたって受け、そして裕は東京地方裁判所から執行猶予付きの有罪判決を受けたのだった。
当時は、火災のあった翌日から、日本中にマスコミを通じ報道された。当然その火災を契機に消防法の改正がなされた。十九名死亡というあまりにも大きな火災事故だった。延焼は免れたが、そのビルは、その後、解体された。
裕はその一連の事故によって、人には言えない痛手をこうむり、十歳以上も老け込んだ姿になったのだった。
その火災から三年の歳月が経った。
裕三十九歳、東郷光子である義母の援助もあり、また歌舞伎町で『ニューカサブランカ』として復活させた。