見出し画像

短篇小説 晩景の花火(16)

 月日は瞬く間に過ぎていった。
 裕が三十歳の誕生日が近づいた一九八三年(昭和五十八年)のある日、会員制クラブ沙友里のママのさゆりから裕に連絡が入った。
「裕君、橋田の件で昨夜、警察から連絡をもらったのよ」
 電話の向こうのさゆりの声は、ただならぬ気配だった。
「それでね、わたし明日にでも宮崎に行こうと思うの、裕君ご一緒してくれないかな。勿論旅費は私に持たせて。
 実は、京町温泉で橋田を見掛けたという人が地元の警察に届け出があり、気が急いてどうしても行ってみようと思っているの」
「カサブランカはどうするかな」と裕が言うと、さゆりが、
「うちのお店のひとみちゃん、そして裕君の後に入った淳君をカサブランカに派遣するわ。友ちゃんとひとみちゃんは同じ青森で同郷だし、そうしてくれない?」
「ママ、判りました。ご一緒させていただきます」と裕は頷いた。
 夜間高校を卒業して、さゆりに新宿の公園で拾われ、それ以来幾度も自分を助けてくれたさゆりに、少しでも恩返しをしなければと考えていた裕だったので、即答したのだった。
 不動産会社は、東郷に相談してみようと思った。
 その日の夜、橋田の件で、裕は東郷に相談した。
「さゆりさんも、君が一緒なら心強いと思うよ、行ってらっしゃい」と東郷は承諾してくれた。そして、
「会社の方は何とかするわ。それはそうと裕君、大丈夫なの? 昼は会社で働いて、夜もカサブランカでマスターとして働く。結構ハードでしょ。不動産の仕事は手を抜けないしね。君の普段の仕事を見ていると、一生懸命だわ。夜の接客にも神経を使うしね。ただ若いことが救いね。やってみなさいよ。どちらも将来の君のこれからの人生に、大いにプラスになると思う」と言って、東郷は裕を励ました。
 
 さゆりと裕を乗せた日航567便は、その日の夕方宮崎空港に着陸した。
 二人はタクシーを拾い、二時間ほどで、えびの警察署前で降りた。
 受付で、用件を言うと直ぐ二階の地域対策課を案内された。二人は冷え冷えとした階段を上り、二階の地域対策課で署員に声を掛けた。
「すみません、東京から来たのですが、橋田紀夫のことで・・」とさゆりが言った。案内にでた男性署員は、
「橋田さんの件でお見えになったのですね」といって、カウンターの横の応接ソファに二人をいざなった。
 対応にあたった別の男性署員は人のよさそうな五十代後半の男だった。その署員の話しに二人は驚愕した。
「和さゆりさんですね。こちらの方は?」とその男は裕の方に目を向けながら聞いた。
「うちの店を手伝ってくれている東郷裕さんです」
「まだ若いですね。これから私がお話しすることを、東郷さんも一緒に聞くことになるんですね」
 署員の話しぶりに、さゆりは何かあると直感し、そして身構えた。
「はい、そのつもりで一緒にきました」とさゆりが応えた。裕は小さく頷いた。
「それでは」といってファイルを見ながら話しだした。

 五日前のこと、川内川向江水門で、男性の死体が発見された。近くに住む男性老人が、水に浮かんでいる男性死体を発見、直ぐ警察に届けた。男の死体には無数の刺し傷があり、直接の死因は首の頸動脈からの出血性ショックによるものと考えられた。
 そして行方不明者リストに橋田が載っていることを確認した。まさしく遺体は橋田だった。警察では直ちにさゆりに連絡を取ったが、橋田が死んだことは、さゆりに配慮して伏せたのだった。
 えびの警察署では、近隣の警察署から応援をもらい、八十人体制で連日捜査にあたった。この近辺の暴力団にも聞き込みをおこなったところ、三十代の組員が、行方不明になっていることが判った。警察ではその組員に目星をつけ、必死にその男を探した。
 すると、その男を宮崎市内で確保、事情を聞くと、その男は、自分の犯行であると自供したのだった。事件調書によると、橋田から連絡をもらい、川内川向江水門で殺したと自白したのだった。
 その動機は、橋田を強請っていたが、五年前の一九七八年(昭和五十三年)橋田から連絡があり、京町温泉に来ると言ってきた。そして宮崎空港に降り立った時、その組員の男は橋田と出会ったのだった。その際、また組員から橋田が強請られた。たまりかねた橋田は、その一週間後、決着をつけようと宮崎にきて、何回か話し合いを持った。
 橋田は、約五年に亘って宮崎に留まった。というより留まらざるを得なかった。
 橋田は毎日のように組事務所に顔をだした。東京のさゆりに連絡しなかったのは、カサブランカやクラブ沙友里に被害が及ばないようにと考えたからだった。
 ただ、五年もの長い間、橋田はなぜ、宮崎にいたのか? 
 えびの警察の説明によると、その五年間、橋田は宮崎県のえびの市に滞在していた。そして、毎日のように組事務所に出入りして、組頭に強請りをやめるよう説得していたようだった。
 たまりかねた組頭は、組事務所からほど近いマンションの一室に橋田を軟禁した。当然外部との連絡を、一切できぬようにしたのだった。
 だが事件の三か月前、橋田はそのマンションから抜け出し、その組員に連絡をとり、五日前、その組員に向江水門で殺されたのだった。
 殺された詳細は、橋田がその組員に刃物で切りかかった。その組員は、橋田の持っていた刃物を奪い、逆に橋田を刺し、死亡させた。以上が組員の口述内容だった。

 説明を終えた警察官は、さゆりと裕を建物地下の霊安室に案内した。
 そこには変わり果てた橋田紀夫の死体が安置されていた。
 さゆりは、橋田にすがり泣いていた。裕はそのそばで、呆然とただ立っているだけだった。
 その後、橋田の遺体はさゆりに引き取られ、荼毘に付し、遺骨とともに、二人は東京へと戻ったのであった。
 裕は、その組員の写真を調書のなかで見た。自分と同年代のその組員の男は、その後何十年も刑務所生活になるだろう。しかしその顔を絶対忘れないでおこうと、そのとき思った。

いいなと思ったら応援しよう!