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短編小説「別杯」10

 寒さが身に染みてきた二月のある日、私は自宅でくつろいでいた。昼食を軽く済ませ、テレビを観ていた。すると突然、私の携帯が鳴った。蛭間さんからだった。
「鈴木さん! 直ぐに店に来てくれないか。殺人事件だ!」

 蛭間さんのカラオケ店の近くまで行くと、店の前は人だかり。パトカーなど緊急車両が何台も止まっている。警察の方だろうか、無線でどこかと交信している。それよりも驚いたのが、乗用車が蛭間さんの経営するカラオケ店に半分以上突っ込んでいた。一階が受付で、蛭間さんが客対応をしていたらしい。榎さんの姿もあった。既に非常線が張られ、店には入れない。中へ入ろうとしたが、警察官に止められた。
「おやじさん! 入っちゃダメ」
「僕は、ここの蛭間さんと親戚関係だ。中へ入れてくれ」と今までの人生で、初めてうそをついた。その警察官は、「そういわれてもダメ!」と融通が利かない。そこへ、榎さんが近づいてきた。
「鈴木さん、蛭間さんの店が、ご覧の通り、このありさまだ」
「蛭間さんは、大丈夫か?」
「何とか生きている。掠り傷を負っているが。それより、北海道のえりも町から来ているバイトの子が重傷らしい。たった今、救急車で病院に搬送された」
「蛭間さんも病院に行ったのか?」
「ああ、行った」
「どうして、こういうことになったのか」
「八十五歳の爺さんが運転する自家用車が、その前の駐車場から出てきて、ブレーキとアクセルを踏み間違ったらしい。酷いもんだよ」
「運転していた爺さんは?」
「顔に掠り傷を負ったらしい。蛭間さんは、反社会的勢力の輩か、恨みがある奴が突っ込んできたと思ったらしい」
「そうか、しかし、酷いことになったものだ。命に別状がなかったのが、不幸中の幸いだね。蛭間さんの奥さんは?」
「留守で、居なかったらしい」
 それから三十分ほどして、蛭間さんがオデコに傷絆創膏を貼って、私たちの立っている場所に顔を出した。
「酷い目に遭ったよ、僕もこれから警察署に寄り、詳しい診察がてら沙理ちゃんの入院している病院に出かけるよ。すぐ戻ってくるから」と言って、警察官と何やら話して、
「君たち二人に此処の留守を頼むからと警官に言っておいた。現場検証ももうすぐ終わるから、中に入ってゆっくりしていてくれ」
「おいおい、僕たち二人で、お留守番かよ」と榎さんは膨れっ面。
「カラオケでも歌って待ってるよ」と私は冗談を言った。蛭間さんの引きつっていた顔が多少緩んだように感じられた。

 ところが、夕方になっても蛭間さんが戻ってこない。カラオケビルの一階の受付カウンターにあるモニターテレビを放送用に切り替え、NHKのニュースを観ていた二人は、またかと頷きあった。
 そのニュースの内容は、
 今朝がたの大阪での住宅型有料老人ホームで職員の女性の一人が事務室で血を流して倒れ、死亡しているのが発見された。とのこと。施設内外部の植え込みで、この施設の七階の部屋に住む男性(七二)が転落したとみられ、死亡しているのが見つかった。七階の自室には血の付いたハンマーが残されており、府警はこの男性が、女性事務員を殺した後、自室に戻り、転落したとみられている。この男性は、この施設内で周囲とトラブルを起こしており、施設退去の手続き途中だったとのこと‥‥。

「最近、やたらと老人に関する事故・事件が多いよね」と私が言う。 
 榎さんは不安げに、
「日本はどうなっているのかね」と独り言。
「高齢化社会になった、ということだろう」と私もつぶやく。そこへ、
「鈴木さん、榎さん! すみませんね、うちの旦那が留守番頼んでね。いま、旦那も私と一緒に戻ったので」と蛭間さんの奥さんが店の玄関を覆っているブルーシートから顔を覗かせた。
「やあ、どうも、大変なことになってしまったね」と榎さんが言った。テレビの夕方のニュースでは、その大阪の殺人事件の報道のあと、蛭間さんのカラオケ店に乗用車が突っ込んだニュースを流していた。
 蛭間さんが、中へ入ってきた。
「ありがとうね、二人ともありがとう」と僕らに気を使ってくれたが、心なしか疲れているようだった。我々二人は、退散と相成った。

 えりも町から来ている沙理ちゃんは、左の手首を骨折、また左足の膝の皿を割ってしまった。

 その後、回復が早く約一カ月で退院した。一度郷里の両親が来ていった。 日高昆布や、北海道の魚介類の珍味をドッサリ持参してくれた。蛭間さんから、榎さんや私にも少々お裾分けしてもらった。
 その沙理ちゃんは、退院後えりも町に帰っていった。えりも町はいま、赤潮の影響で、ウニなどが全滅の危機に陥っている。緊急で政府が対応策を講じているようだが、暫くは大変な状況が続く。
 

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