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ゴメが啼くとき(連載7)
昭和十三年(一九三八年)、新しい年を迎えた。
文江は九歳、四月から小学校二年生になる。
母のハナからは、文江に何の便りもない。一日も早く歌別の実家に帰りたかった。暖かくなったら、帰ろう。と何時も思った。
元日は、何もしなくてよい日だ。まして天気が良く真っ青な空だ。一段と寒さが身に染みた。お昼近く、文江は、うっすらと雪化粧した岩場を抜け、ドンドン岩に向かった。
一番高い岩場に人の姿があった。
二十メートルほど文江が近づくと、三十歳過ぎの女性だろうか、冬の寒さに耐えることが出来ない身なりで寒さに震え乍らじっとドンドン岩の大きくえぐれた穴に波が打ち寄せ、飛沫が大きく反り返す様子を真剣な表情で見つめていた。この人は死のうとしていると文江は直感した。
「おばさん! 死んだらダメ!」と文江は叫んでいた。
「来ちゃだめ! 来ないで」
「おばさん、冷たい海に飛び込んだら死んじゃうよ」
文江は必死でその女性に話し掛けた。しかし、文江の止めるのも聞かず、
十メートルほどまで近づくと、その女性は、ドンドン岩の穴の中に飛び込んでしまった。文江は呆気に取られ、言葉すら飲みこんでしまった。
大変なことが起きた。
波が岩場の穴に吸い込まれ、飛び込んだその女性の姿はすでに消えていた。ドーンと大きな音がして、綺麗な七色の虹がかかった。
文江は我に返り、佐藤家へ走った。雪が溶け濡れた岩で滑って転びながらも走った。
文江の話を聞いた佐藤家では大騒ぎ。当時は電話もなく、警察に知らせる手段が何もなかったのである。
その日(元日)の午後、佐藤の叔父が庶野まで走り、浦河警察署に連絡した。
次の日、分署の巡査がドンドン岩で検分しながら、
「冬場はすぐには見つからないだろう。潮の流れにもよるが、一旦沖に流され、数日後、百人浜辺りで見つかるかもしれない」と言った。ドンドン岩に女性ものの下駄が綺麗に並んでいたことから、女性が入水自殺したとみられた。文江の証言も警察を納得させた。
数日後、その女性の死体が百人浜に打ち上げられたのであった。
ドンドン岩は、釣り人仲間の間では、有名な釣り場でもある。
文江は、その日以来、人の死というものについて考えるようになった。
佐藤の爺様が死んだときのこと。
ドンドン岩で知らないおばさんが海に身を投げて死んだこと。
文江は、悲しみに沈んだ。
相変わらず、佐藤家の子供たちの文江への虐めは続いていた。しかし、文江はじっと耐えていた。
その年の早春、佐藤家の婆様が、老衰で亡くなった。
文江の理解者は、誰もいなくなってしまった。