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短篇小説(連載)星堕ちる⑪
ツネと次郎の結婚式は、その年(昭和二十年)の十一月に決まった。終戦後のあわただしさの中であり、簡素なかたちとなった。
土屋家では、多忙な日々が続いた。
次郎の代わりに新しい人を雇うことにした。農協の口添えで同じ修善寺にいる若い男性が見つかった。
次郎は、以前、修善寺に買い出しに来た深川に住んでいる前田という青年を頼り、仕事を探すことと、ツネと住むところを見つけるために東京に行くことにした。その足で黒磯に行ってみる。結婚の報告をするためだ。父の吉蔵が死んだとき、手紙で知らせても何の音沙汰もなかったことが気がかりであった。
次郎は、昭和二十(1945)年九月下旬、東京は深川区の前田の住所に向かった。東京に出る二週間ほど前、深川の彼に手紙を出しておいた。
東京に着いた日は、前田が両国駅まで迎えに出てくれた。駅で落ち合った二人は、門前仲町までの通りを歩いた。
戦争が終わって間もない東京の街並みは、まだキナ臭さが漂っていた。
ふと道端に目を遣ると、タンポポの花が咲いていた。ツネとの今後の弥栄を祝ってくれているようだと次郎は感じた。しかしこの焼け野原の状態では、立ち直るまで相当の時間がかかるのではと思った。
「どうぞ入りなよ」
「ありがとう」と言い次郎は前田の家に入った。
「君のご両親に挨拶したいが」
「まだ、君には話していなかったが、両親は居ない。あの三月の大空襲で犠牲になってしまった。いまこの家に僕一人で住んでいる」
「兄弟はいるの?」
「兄弟はもともといない。僕は一人っ子だ。修善寺に買い出しの時は、僕は一人だった。隠すつもりはなかった」
「あの時、リュックサックに沢山の穀物を入れたが、あれはどうした?」
「近所に配った」
「君は人がいいね」そう言う次郎も心根は優しさを蓄えていた。
次郎は、前田の家を拠点として、仕事を探し、アパートを探すことになった。
着いた翌朝から職探しに歩いた。国鉄の臨時雇いの募集の貼り紙が目に留まり、そこにしようと決めた。
次は二人で住むアパートを探すことにした。これもあっという間に決まった。そこは富岡(深川)八幡宮の近くの類焼を免れた安アパートだった。
前田の家に来て四日目、次郎は上野から黒磯に向かった。行ってみたい気持ちが半分、重い気持ちが半分、混ぜこぜな気持ちだった。
東北本線に乗り、黒磯駅に着いたのがその日の夕方、実家に向かった。途中懐かしい場所があった。
校庭は静かだった。次郎は卒業した栃木高等小学校の門扉の前に立ち、中を覗き込んだ。卒業式の日、母の静に打ち明けたことが、昨日のように蘇った。自分は前を向いて歩いている。今度結婚する。次郎は胸を張って見せた。その姿を見ている者は誰もいなかった。そして、徐に次郎はまた歩き出した。
実家に着くと、そこには普段と変わらない日常があった。
「今帰ったよ」
「次郎か! たくましくなったな」祖母のハナが出てきた。
「おまえ、何しに帰ってきた?」
「報告があってね」
「どうせ、他愛のないことだろう」
「・・」祖母の口の悪さはいまだ健在だと次郎は感じた。
「一郎は?」と次郎は母親の静に聞いた。
「一郎は戦争に行ってまだ帰ってこない」と静は寂しそうに言うのだった。
その二年後、一郎が戦地で死亡したと、役場から連絡があった。そして石の入った骨壺が届けられたのだった。
父の吉蔵が修善寺で死んだとき、黒磯に便りを出した。しかし、返信は一切なかった。今回の帰郷はそのことも聞き出そうと思っていた。まずは結婚することになった報告をしようと次郎は頭の中で切り出す順序を考えた。
実家での晩飯は、久々に一郎を除く福田家の皆が集合した。次郎は、五年前に修善寺に行ってからの事を話した。皆は黙々とその話に聞き入っていた。食事が終わり、皆が席を立つ直前、次郎は本題を切り出した。祖母のハナ、母親の静、三男坊の三郎もいた。
「皆に折り入って話したいことがある」
すると、母の静が、
「早くしゃべれ」と相も変わらず強い口調で次郎の次の言葉を待った。
「実は僕、結婚することにした」
「もう決めたのか、次郎、相手は誰だ」静が身を乗り出す。
「おどうと僕が修善寺で世話になっていた土屋さんの長女ツネさんだ」
「なして今日、連れてこなかった?」と静が不愉快な態度を見せた。そして祖母のハナへ向き直った。
「ばさま、次郎が結婚するんだって!」大きな声で話す。
「結婚予定日はいつだ?」静が聞いた。
「十一月に予定している。土屋家の長女だべさ、僕、養子に行く」
ハナと静はそうかと言ったきり無言だ。
「いいね、みんな。僕・・そうするから」
誰一人として、反応しなかった。ということは、了解したということだと次郎は勝手に判断した。次郎は話題を変えた。
「おどうが死んだとき、手紙書いたけど、返事もなかった」
「それはお前、ここから出て行った者は、一切関係ないべさ」
「おっかさま、その言い方は無いべさ」次郎はムッとしたが堪えた。
「次郎、吉蔵はこの家に養子に来て、ある日黙っていなくなった。そったらもの関係ない!」祖母のハナは大きな声を張り上げた。母の静は複雑な目を泳がせ黙っていた。
(この家の人は、どうしてこうも冷たいのだ)次郎は切ない気持ちだった。
こったら家に二度と帰ってくるものかと思った。
次郎は、次の日早く、東京に戻った。