短篇小説(連載)忘却の文治(6)
一日の過ぎるのは早いもので、外景色はすでに暗くなり始めていた。文治は、宿を探した。事前に予約などしていない。
先ほどの女性が、文治のすぐ後をついてきていた。
そして、「今夜の宿はどうされるのですか?」と聞いてきた。
「そうですね・・まだ決めていませんが」と応え乍ら、ふたりはフェリー乗り場に近い観光案内所に向かった。
応対に出た五十代そこそこの女性が、ホテルのパンフレットを二人に見せながら、説明してくれた。
文治は、リーズナブルなホテル『ゲストハウス深紅』が気に入った。ここ観光案内所から歩いても、十分ほどの場所にあるホテルだ。
その女性は、加茂湖に近い湖畔の宿「佐々木家」を選んだ。一泊二万円もする。差がついてしまった。しかし、無職の文治には、手が届く料金ではない。
別れ際、その女性が、
「また、どこかでお会いできればよろしいですね」と言ってくれた。文治は、軽く会釈し、微笑みかけ、「それでは」と受け応えて、別れた。
別れ際、文治は、漠然とした違和感を抱いた。それは、いままで経験したことのないその女性から発せられるものだった。
次の日の月曜日、文治は、観光案内所で、「佐渡の名所めぐりツアー」を申し込んだ。
まず佐渡金山に向かった。
三つの見学コースのなかから「史跡佐渡金山」のスタンダードコースを選び、文治は手掘り坑道を歩いて見学した。人混みの中で、昨日の女性は確認できなかった。三十分ほどで見学は終了した。
令和六年(二〇二四)の七月に世界文化遺産に登録された。ここの金山は、江戸時代から平成の時代までに約七十八トンもの金を産出している。文治が驚いたのは、金のほかに銀の産出量が二三三〇トンと多いのだ。坑内はアリの巣のように張り巡らされており総延長は約四〇〇キロメートルつまり佐渡と東京の距離に匹敵する長さだった。ガイドの話では、道遊の割戸といって、鉱石を掘り取った結果、山が真っ二つに割れてしまった、とのこと。
平成元年(一九八九)の三月に資源枯渇のため、四〇〇年の歴史に幕を閉じた。
金山を見学した後、文治はバスに乗り、佐渡西三川ゴールドパークに向かった。そこで「砂金採り体験」をするのだ。年甲斐もなくウキウキした。
大きな建物の中に入ると、長さ二十メートル、幅一、五メートルの水槽が四列ほどあり、その中に砂が蒔いてある。その砂の中から、UFOのような緑色の丸いプラスチック製のボールに砂を入れ砂金を見つけるのだ。ほんのわずかな砂金を二粒ほど採った。それを小さな小瓶に入れてくれる。お土産として持ち帰ることにした。事前に砂金を砂の中に紛れ込ませているのだ。ばかばかしいのだが、それなりに楽しめた。
次に、トキ保護センターにバスは向かった。ここは国中平野の東の新穂地区に位置し、トキの野生復帰を目指し、飼育繁殖に取り組んでいる。
文治は、売店で、トキの刺繍が入ったキャップを求めた。
午後は、たらい舟体験である。明治頃から始まったと云われている。狭い岩礁の入りくんだ小木海岸でワカメ、アワビ、サザエなどを採るため、小廻りが利く洗濯桶を改良して現在のたらい舟になったらしい。女性が櫂で漕ぐたらいに三人ほど乗る。湾の一角を十五分ほど、たらいに乗って楽しむのだ。
文治は年甲斐もなく、奇声を発し楽しんだ。その日は満足のいく日程をこなした。