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短篇小説 晩景の花火(15)

 裕は忙しくなった。
 昼は東郷不動産で働き、夜はカサブランカのマスターとして、睡眠時間を削りながらも、なにくそという気持ちで働いた。時は金なりと云うが、わずかな時間も惜しんで毎日必死に働いた。時には、会社で昼飯を食べた後、三十分でも椅子に座り、眠った。
 カサブランカは、約二カ月の休業をしたにもかかわらず、徐々に客が戻ってきた。吉田友子こと友ちゃんは愛想もよく、友ちゃん目当ての客も何人かはいた。スナックの経営で判らない事や不安な点をさゆりに聞き、アドバイスを受けた。
 
 一年は、あっという間だった。二十六歳になった裕は、口ひげもはやし、カサブランカのマスターらしくなってきた。友ちゃんにも夏休みの八月になると、特別に給金を持たせ、一週間ほど青森に帰らせた。
 
 旧盆の期間は、店を休んだ。東郷不動産もこの期間休みなため、裕は久方ぶりにゆっくりと英気を養った。同居の東郷と、新宿のマンションの部屋で東京の夜景を眺めながらワインを味わい、至福の時を過ごした。
 
 明日から仕事だという前夜、東郷から裕に、唐突に話があった。
「裕君、よく頑張っているね。私はあなたを養子で迎え、良かったと思っているよ。ただ、わたしも七十を過ぎ、体力や気力が幾分、昔のようにはいかない年になってきたのよね。そこで裕君にブッティックは別にして、不動産会社を任せたいと思うの、どうかな?」
「お母さん、それは、荷が重すぎますよ」と裕が応えた。そのころ、裕は東郷のことを自宅ではお母さんと呼んでいた。
「確かに、昼夜と働きっぱなしのあなたを見ていると、かわいそうになるけどね」
「いや、僕はまだ若いんだし、しんどいけど何とか頑張れる。ただ不動産業界は奥が深く、まだ僕は修行の身と考えています。やはりお母さんが居てくれなければ」
「裕君、私はね。近い将来、私の事業の一切を君に譲ろうと考えている。裕君に私の事業の全てを譲るのは、まだ少し先かもしれないけれど、その時期を考えているのよ」
 裕は、スナックカサブランカのことを考えていた。
 失踪した橋田が戻ってきてくれたらどれほど心安らぐか。
 橋田はどこに消えてしまったのか。あの京町温泉にヒントがあるような気がした。さゆりが警察に届けて以来、いまだに行方知れずであった。
 

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