ヘルプマーク
私は二〇二〇年(令和二年)東京都内の某大学病院で、左足膝関節置換手術をおこなった。
それまでの経緯を下記に記述する。
手術後は、松葉杖もヘルプマークも使わず日常生活を送っている。ただ家のなかでは、椅子生活となった。
私が松葉づえをつき始めたきっかけは、整形外科の先生から、変形性膝関節壊死症の悪化防止のため、始めたほうがいいと言われてからだ。すでに半年が経っていた。
ある日の朝、電車の中で席を譲ってくれた女性がいた。私が座ろうとしたとき、その女性のリュックサックに赤いヘルプマークがついていたのだ。
咄嗟に私は「ありがとう。でもいいですよ」といったときは、女性は頭を振り、すうっと立ち去り、距離の離れた場所に立ってしまった。私は何か複雑な心境を残したまま、座らせていただいた。
心では「ありがとう」と言いながら。
手術前は、毎朝痛み止めの薬と胃腸薬を一緒に服用していた。いつまでこのような状態が続くのか不安であった。
いつかは手術を行うしかないと考えていた。壊死した骨は元に戻らない。
そして、置換手術をおこない、三週間ほど入院し、無事退院となった。
左足膝が人工関節になったのだ。
最近、ヘルプマークの認識が浸透しているように感じられる。
私もヘルプマークを付けてから、多少は他人を思いやる気持ちが醸成されたように感じる。
少々生意気な言い方になってしまったが、快く席を譲ってくれる人。目の前に立っている私(松葉杖にヘルプマーク)を無視して優先席に座り続ける学生風の男性・女性等々。
優先席に座っている方が、私に席を譲ってくれたときは、頭を下げて丁寧にお礼をする。その行為は常識の範囲ではあるが、人によってはお礼を言えない方もいるようだ。
私は、常識を越したバカ丁寧なあいさつやら言葉使いには辟易する質だ。自然体でいいのだ。ぶっきら棒でいいのだ。
人間とは厄介な動物であるが、優れた生き物でもあるのだ。だからこそ、これからいくらでも修正がきく。