【連載小説】憐情(10)
お袋の言うことには、近所に犬を数頭飼っているお宅があり、最近会社を定年で退職した主人が犬を連れて、一日に六回も散歩に出ているとのこと。
狸と犬はいわば天敵の間柄。
狸一家が夜、家に遊びに来るときに限って、犬と出くわし、狸一家は犬達に追い掛け回されるらしい。そこで、そのうるさい犬どもを何とか狸一家に悪さしないようにするためにはどうしたらいいか、今夜、家で相談するからお前も同席して欲しいとのことだった。
私は同席してもいいが、これといった知恵があるわけでもなく、ただ聞いているだけだよとお袋に言った。
お袋は狸一家に日頃お世話になっているから、こういうときこそ助けてあげたいと言うばかりであった。
その日の夜、狸一家三匹揃って家に来たのだが、お母さん狸の左前足に包帯が巻かれて痛々しい姿であった。
お袋が尋ねると、家に来る時、ばったり散歩中の犬に会い、吼えられ、お母さん狸の前足に大きい犬が噛み付いてきたとのこと。
血が出ていたので直ぐ手当てをしたが、痛みが走り、ここまでお母さん狸を担いで運んできたということだった。
犬猿の仲ではなく、犬狸の仲である。
只ならぬ状況に、私も真剣に考えざるを得なくなった。とことん狸と知恵比べをしようと腹を括った。
その夜、犬の対策会議が長い間続いた。
本来、狸は夜行性で臆病である。暗がりを怖がる人間とは矛盾するが、習性であるから致し方ない。
散歩中の犬達と狸が仲良くする方法は絶対見つからないというのがおおかたの意見であった。
ということは、犬達と狸が遭遇しなければいいのだ。遭遇させないようにするためには、一日六回も散歩に出る犬達の時間帯を避けることである。
但し、狸は夜行性のため、殆ど昼間は就寝中である。私が犬達の夜の散歩する時間帯を調べ、その時間帯を避けて家に遊びに来させることとしたのである。そんなに難しい問題ではないようだ。
その夜は、この問題の他に私の結婚についての話題も出た。私はあまりその話題には興味がなかったが、お母さん狸は私が会社で、所長から結婚相手の話しが出たことは知っていた。
その紹介してくれる相手の女性のことも存知であり、私がその女性と会うことを止めるようアドバイスするのであった。
どうしてかというと、その女性は我儘でじゃじゃ馬で顔は岡目で魅力のない女性ということと、その所長の娘さんであることもお母さん狸は知っていたのである。
さあー私は困ったと一瞬思った。が、断ればそれでいいこと。断り方は追って考えればいいと、その場では直ぐその話題は忘れてしまった。
そのことよりも、お袋の不安が今晩の話し合いで幾分解消したことが嬉しかった。
後日、会社で書類を届けに所長室に伺った折り、所長から例の見合いの話しがでた。
私はすぐさま丁寧にお断りした。
その理由は、いまは母を介護しなければならず、さらにまた、すでに交際している人がいると言う嘘を語ってしまった。
所長は一瞬顔を顰めたが、すぐふっと諦めた表情を作った。そして、そうか解ったと短く言った。私は所長室を出て、心の中でヤッタとガッツボーズ。何はともあれ、事なきを得た。
私の仕事は総務関連の仕事で、以前働いていたときに比べそれほどハードではない。まして、総務経験のある私はいまの仕事が苦痛ではなく、程よいストレスと労働で働きやすかった。
あの狸一家はその後、夜の散歩犬達とも遭遇せず、一週間に二度ほど、遊びにきていた。まずは、平和で楽しい日々を過ごすことが出来るようになったのである。