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短篇小説(連載)忘却の文治(10)
ホテルの部屋に戻った文治は、さて今日はどこへ行こうかと考えた。交通手段は、専ら公共交通機関なため、不便さを感じながら、先日行った観光案内所に行こうと決めた。
ホテルを出た文治は、空腹を覚えて腕時計を見ると、既に正午過ぎだった。
観光案内所に向かう前に、どこかで昼飯でも食べようと、歩きながら手ごろな食堂を物色した。せっかくだから佐渡名物でもと思いつつ、結局は、観光案内所の近くの食堂に入った。
メニュー表を見ると、バターライスといごねりの昼定食を注文した。いごねりは初めてだったので、店員に聞くと、いご草を使った佐渡の郷土料理とのこと。文治はそれを注文した。
ほどなくその定食が出てきた。文治はそれを食べながら、あの殺害された女性のことを考えていた。
・彼女はどうして観光案内所にいって、宿を探したのか? 事前に予約していなかったのか?
・その女性の身元は? 既婚者か独身者か?
・殺した人間は? 首を紐のようなもので強く圧迫されたことが原因で死亡したのか?
・彼女の周辺でトラブルなどは無かったのか? など。
文治が食事の途中で箸が止まっているのを店員の女性が気づき、
「お客さん、それ、お口にあいませんか?」と単刀直入に聞いてきた。
「え? あぁ、美味しいです。考え事をしていたもので」と笑いながら頭を掻いた。
「意外といけるでしょう」とその女性が笑顔を返した。
その日は、観光案内所で紹介された、千石船の里宿根木や琴浦洞窟、小閣湾を船上から観光した。
千石船の里宿根木では、以前、吉永小百合がテレビのコマーシャルで立った、塩の看板がある民家の角に、文治は立ってみた。心なしか満足した。
その日は、意外と方々観光したので、文治は気持ちの良い疲れを感じた。
夕方宿に戻ったとき、フロントの男性が、
「五十嵐様からご連絡が入っておりました。携帯の番号を頂いておりますので」と、メモを渡された。そうだ! 文治のスマホの電話番号を、五十嵐刑事に知らせていなかったことを悔やんだ。
部屋に戻った文治は、スマホを取出し、五十嵐に電話した。五十嵐刑事はすぐ出た。
「木内さん! あの女性の身元が判明しました。これからホテルにお伺いしてもいいですか?」
約一時間後、夕食が近づいた時刻に五十嵐刑事と若い刑事が文治を訪ねた。
ラウンジで文治は二人に会い、文治は麦酒を頼み、五十嵐刑事と若い刑事の二人は珈琲を注文した。
珈琲を啜りながら五十嵐刑事が話しだした。彼の目尻が、心なしか下がっているのを文治は見逃さなかった。
「木内さん、殺害された女性の身元が割れました。新潟市内在住の独り身の女性でした。四十八歳です。遺体は既に新潟大学に移送しましたので、数日で解剖結果が出るでしょう」
「そうでしたか」と文治が言った。
「ご旅行中お騒がせしました。ありがとうございました」と五十嵐刑事が頭を下げた。
「おい、お前も礼を言いなさい」と五十嵐刑事が、若い刑事を睨んだ。
警察手帳から目を上げた若い刑事は、「ありがとうございました」とにっこり微笑んだ。
「にこにこするんじゃない!」と五十嵐が叱咤した。文治が、
「まあまあ、五十嵐さん、でもこれからが大変ですね」と文治が五十嵐刑事の厳つい顔に向かって話した。
二人が帰ったあと、文治は夕食のため、引き続いてラウンジに残った。
食事の後、部屋に戻った文治は、シャワーを浴びて、ベッドに横になった。さあ明日にでも東京に戻ろうかと考えた。
東京の自宅に戻って二週間後、文治に一通の手紙が来ていた。佐渡警察署の五十嵐刑事からだった。
その手紙には、あの事件のその後の顛末が書かれていた。
女性は新潟在住の四十八歳の独身で、捕まった男は、金沢在住の五十代の市会議員。
女性の首を紐で強く締めた結果、窒息死だったこと。殺害の動機は、現在取り調べ中で、多分、男女の縺れからだろう。
と書かれていた。
警察を退職して早や十年になる文治は、今回の佐渡旅行は、現役時代を思い出す旅だった。
文治は改めて、日本での殺人事件について調べてみた。それによると、人口十万人当たりの殺人発生率は、アメリカが五.三件、フランス一.三件、イギリス一.二件、ドイツで一.〇件、日本はわずか〇.二件であることが判った。二〇二〇年のデータである。
文治の現役時代は、様々な殺人事件の修羅場に遭遇した。また、人間の暗闇をいやというほど見てきた。
真っ当な仕事、例えばサラリーマンなどのほうが、どれだけいいか、何度も思ってきた。しかし、この世の中で、市民の安全を守る警察は必要不可欠なのだ。と思う文治だった。
文治が現役時代、連日の事件の捜査で、家族を顧みることはほとんどなかった。家のことは妻の和子に任せっぱなしだった。
六十で定年を迎え、晴耕雨読の毎日が十年ほど続いている。
七十になってから、国内を一人旅してきた。気が付くと、妻の和子と二人で旅行をすることは、一度もなかったことに気づいた。