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黄金道路 #9

 豊似湖とよにこの水に干潮かんちょうがあるといわれているが、これはドンドン岩と湖を結ぶ通路がどこかにあるからでは、と言い伝えられている。
 豊似湖(通称・馬蹄湖)の空中写真を眺めると、ハート形になっている。

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 えりも町役場商工観光係作成「えりも拝見」の記述の中で、寛文年間の頃の和人とピリカメノコ(美しいアイヌの女性)との恋物語が綴られている。それは、悲恋沼にまつわる哀れな伝説である。

 和人の名は、当時油駒場所の請負人であった浜野久七の息子「久作」と伝え聞く。
 メノコの名は「マエラ」と言い、今の苫別とまべつ付近を居所としていた日高アイヌ一族の娘であった。
 久作とマエラは、ふとしたことから思いを交わす仲となり、毎夜、襟裳岬の陰で人目を忍んで落ち合うようになった。
 しかし、彼らの清い恋も長くは続かなかった。
 それは、当時、勢力争いを続けていた十勝アイヌと日高アイヌの戦いが始まったことだ。
 また、久作たちは内地に帰る日が近づいたからであった。
 二人は恵まれぬ恋を嘆き、あの世での再会を誓い、襟裳岬の砕け散る波の音を後にして西と東に別れたのであった。
 苫別周辺には、永遠の別れとなるその日の船出を悲しみ、身も痩せ眼を涙で曇らせ、見えぬ船を追うように立つマエラの姿をみかけたが、いつの間にか彼女の姿は無く、その後ぽっかりと沼が生まれたのであった。
 それからは、誰ということなく悲しい恋の涙で出来た沼、つまり悲恋沼ひれんぬまとして云い伝えられ、棲む魚もなく、秋風の吹く頃には悲しげな小波さざなみが立ち、その寂しさは悲涙ひるいのせいであろうか、と噂し合ったという。

 いまは周囲約400mには木道が整備され6~7月には見事な原生花園となる。

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