短編小説「別杯」13
鈴木(私)の夕張時代(2)
北海道では、過去に長い間、アイヌを差別してきた歴史がある。悲しい辛い歴史の事実だ。
夕張第二小学校に編入した僕は、教室でも目立たない存在であった。
担任の男の先生の名前を新田先生といった。僕はその新田先生の影響を受けた。
あるとき、新田先生は授業中、「この世の中で、一番醜いものでもありすばらしいものは、何だかわかるかな?」と、皆に質問した。僕は咄嗟に『人間の心』だと思ったが、恥ずかしくて挙手をして答えることはしなかった。
先生は「それは人間の心だよ」と言った。僕は内心やった! と思った。人の心は複雑で移ろいやすく厄介なものと思った。
中学生時代、何年生だったか覚えていないが、美術の授業で野外写生会があった。学校の近くの東山公園で夕張の山並みや日本猿を写生しながら僕はふと思った。
『この山の向こうの世界はどんな世界なのか?』と。
北海道の山の中にいると、他の世界が皆目判らない。山の向こうの世界に思いをはせたものだ。
放課後は陸上部員として、ほとんど毎日、グラウンドを走ったり、走り幅跳びで汗を流した。小さいときから体が弱かった僕だったが、みるみる丈夫な体になっていった。
僕は、鹿ノ谷の山の上にあった夕張北高等学校に入学した。男女共学であった。
当時夕張の人口の多さを物語っているように、一学年八クラスもあった。私はまた陸上部に所属した。自分の体を鍛えた。父が昔、走り幅跳びをやっていた。その影響を受けたかもしれない。父親はある大会に出場して、アキレス腱を切ったそうだ。
夕張北高校での三年間、恋やクラブ活動等色んなことができた年頃であった。
僕の好きな曲にウイルマゴイクの『花のささやき』がある。中学校時代の曲かどうか記憶が薄れたが、夕張本町のレコード店でそのレコードを一枚買った。レコード店の店員がレコード盤にスプレーを吹きかけたのを僕は視てしまった。静電気防止スプレーとは露知らず、家に帰って早速、母親が使っていたヘアスプレーをその大事なレコード盤に吹きかけてしまった。さあ大騒ぎ、ベトベトして、買ってきたレコード盤が使用できなくなった。ドジな失敗談である。
僕が卒業した、夕張第二小学校も、東山中学校も、夕張北高校も、すべて今は無い。
たまに、高校の同窓会に出て、昔を懐かしむ程度である。
私の話はそこで終わった。
榎さんも蛭間さんも二人とも無精ひげを左手で撫でながら、やっと終わったかという表情をした。
「鈴木さんは、よくぞ昔のことを鮮明に覚えているな」と榎さんが感心した声をあげた。
「鈴木さんの話は、長かったよ」と、蛭間さんが欠伸をしながら、冷やかし気味に話す。
「ところで次回は、蛭間さんの昔のことを聴きたいね」と私が応じる。
ところが蛭間さんは、「僕は過去を全て忘れた。だから聴かないでほしいな」と一蹴した。
「蛭間さん、それは狡いよ」と榎さん。次回はいつになるやら。
ところで榎の姓の由来は、今の宮崎県の日向が起源らしい。または、吉備氏族の子孫という説もある。そのことを後日、私は榎さんから聞いた。
一方、蛭間の姓の由来は、清和天皇の子孫で、現東京都、埼玉県広域、神奈川県北部の武蔵が発祥らしい。昼間氏、比留間氏とも関連しているとのこと。
また、日本で正式に苗字を付け出したのが、明治の初めらしい。明治政府は明治三年に「平民名字許可令」そして、明治八年に「平民苗字必称義務令」という法律を作り、すべての国民は名字を名乗らなければならない、というように、国民への義務が課せられたのだ。
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