祖父 鎌田 ムチヲ について その2
いわゆる
太平洋戦争が
終わったあとに
実施された
農地改革で
鎌田家は
もってた
土地資産の
9割弱を
失った
といいます。
それまで
小作人が耕してた
田畑は
小作人の土地に
なったし
それまでは
媚びへつらってた
小作人どもが
平気で
タメ口きくようになった。
とにかく、
自分らで
耕してないと
田畑とられて
小作人らに
再分配されるから
と、
祖父母は
相当
必死で
働いてたそうです。
理不尽なことが
続きすぎて
根性まがった、ていうのもあるし
鎌田家は
としこ (ワタシの母)
なちこ
えいこ
の三姉妹で
女系家族です。
このとき
「ウチは次女か三女が家督つげば
いいから
オマエはイラね!」
で
追い出されたのが
ワタシの母
鎌田としこ ですか。
その後
青森市 浪岡 樽沢 の
清野家の次男と結婚します。
なので
出生時の名前は
ワタシは
せいの れおな
なんですよね。
で、
鎌田家の
次女と三女が
逃げるように
ヨソにとついで
誰もいなくなって(笑)
「オマエらあれだけ邪険に扱ってたクセに」
とか
そういうのでモメましたが
それでも
父が
婿養子になる形で
ワタシは
3歳のときに
かまた れおな
に名前が変わりました。
両親が離婚したわけでもないのに、です。
あの虚栄心の強くて
プライドだけは
やたら高い父が
それでも
婿養子になったのは
鎌田家の資産でしょうね。
徒歩十分以内に
もってる土地だけで
青森高校の
敷地面積は
ゆうに
超えます。
それが
特殊な
家庭環境なのだ
と気づいたのは
だいぶ
あとですね。
申し訳ないですけど
祖父母らには
まったく
愛着ないです。
父が婿養子に
入ったあとに
生まれた
弟だけが
溺愛されてましたから、
小学生とかなら
まだ
嫉妬するでしょうけど
中学あたりからは
「はいはい、どうぞ」
という
感じで
スルーしてました。
祖父
祖母
ともに
ガンで
亡くなりましたし
余命宣告されたあたりから
「レオナにあいたい」
とか
言われても
ガン無視してましたね。
もう
なにもかも
あの頃には
冷めきってました。
「オマエはこの家の人間ではない」
↓
はい!わかりました!
↑
これが
若いうちから
根づいていたと
思います。
なんかあったら
ていうか
なにもなくても
家督は
弟が
継げばいいし
と
思ってましたから。