杉沢で起きた皆殺し事件、そのあと
その後、結核の猛威はなりをひそめ
一見すると平和が
再び本郷へ戻ってきたかのように
思われました。
が、それは誤りでした。
杉沢の集落で起きた皆殺しは
複数犯によるものでした。
時代背景を考えた場合
やむを得ない部分も
あったのかもしれません。
安易に断罪すべきものではない、とは
思います。
本郷の集落内では
相互監視の上
「あれは、なかったことに」
という合意の下
いつわりの平和を謳歌していたのですが
そうも言ってられない事態が頻発しました。
謎の死産、流産の頻発。
今にして思えばこれは秘密をまもることへの
住民たちのストレスだったのでしょうけど
祟りだ!
ということで問題になりました。
実行犯として
火を放った者たちの
少なからぬ人々は
顔見知り、あるいは
身内の人間を焼き殺した
ということの事実に対し
良心の呵責からか
自殺したり
「呪い殺される」と
発狂し精神病院送りに
なる者まで
出始めました。
本郷から去っていく人たちも
少なからずいました。
それでも
本郷の人間ちは
頑なに口をつぐんで
なかったことにしようと
しました。
そこには一種の共犯関係みたいなものが
あったのだろうと
推測されます。
本来であれば、
ここで、話は終わるハズでした。
それでも話は終わらなかったのです。