レイテ島からの手紙
というわけで、
前回の記事の続きだ。
太平洋戦争における
レイテ島を
ご存知無い方も
いらっしゃるだろうから
簡潔に書いておく。
太平洋戦争において
硫黄島と並ぶ激戦地がレイテ島。
現在のフィリピンにある。
レイテ島に派遣された
日本軍の兵士
8万4千人のうち
資料によれば
7万9千人が
戦死、餓死した。
(犠牲者数を8万人とする資料もある)
戦地に赴いた日本兵の
9割超が死亡しているわけだから
そりゃ凄惨をきわめたもので
あっただろう。
大阪の
関西ローカルの
テレビ番組あてに
「終戦後60年以上たって
判読すら難しい
戦地から送られた
父から母へ送られた
手紙を、
なんとか解析して
また、読めるようにしてほしい」
というのが
大阪在住のおじいさん
(当時65歳)からの
番組への依頼であったが
判読作業は難航した。
普通に拡大コピーしたぐらいでは
まったく、歯が立たない。
「正直、これはムリか」という
とこまで追い詰められて
番組が頼ったのは
奈良県の
奈良文化財研究所。
国立の独立行政法人で
「室町時代の源氏物語の写本」とか
「奈良時代の万葉集の写本」とか
国宝級レベルの文献、文化財を
調査、解析する施設。
正直、
関西ローカルのテレビ番組で
一般人からの調査依頼に
よく協力してくれたと思う。
経年劣化で判読が難しい
鉛筆で書かれたハガキの手紙を
「あ、これ赤外線でなんとかなりますわ」
とかハードルを難なくクリア。
結局、
レイテ島からの
父から母宛の手紙は
ほぼ、すべてが解析され
内容が判明した。
太平洋戦争が激化する中、
結婚5ヶ月で夫が招集される。
夫は生きて帰ってくることはなかった。
夫、この調査を依頼した方からしたら
父、にあたるわけだが
父は、母にあてた手紙で
母が私を身ごもっていたことを
知らないまま、
戦地で死んでいったのだろうか?
↑
この問いにも番組で
明確な答えが提示された。
父は
母が自分を身ごもっていたことを
知っていた。
たった2枚のハガキの中に
それは
男が愛する女に向けて書く恋文
であったり
妊娠して身重の妻の身を
気づかう夫の文であったり
まだ会っていない、生まれていない
我が子を慈しむ
父としての思いであったり
そうした気持ちが赤裸々に綴られていた。
番組が進むにつれて
番組に調査を依頼した
依頼主の方が
解読された手紙を
声に読み上げながら
ポロポロと涙を流しだす
あれは、番組を視聴していて、
私も泣いた。
ユーチューブだと
ここらへんか?
これには泣いた。