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ラゴスは女王に会えたか
はじめに断っておきたいが、「旅のラゴス」の一部ネタばれを含む。個人的には読むうえで支障にならず、むしろ本文をきっかけにぜひ購入してほしいがその基準線は人によって異なるため、一応。
本棚の中から
ふと、本が読みたくなった。それも小説が。それは意味人間関係で悶々とする日々を過ごしていたからかもしれないし、卒業論文の執筆がなかなか納得いかないことを紛らわすためかもしれないが、とにかく小説を読もうと思った。
下宿のテレビの下の、申し訳程度の本棚の戸を開き、品定めをする。入れられる本の冊数は少ないとはいえ、そこには気に入っている小説が並べられている。その中で、一番取り出しやすい位置に『旅のラゴス』がある。250ページほどの薄めの文庫本は、ハードカバーなどの多書籍に押しやられていても、いつもまず手が伸びる。
それほど、私はこの小説を気に入っている。
最近、外が寒すぎて家におり、読む時間も書く時間も明らかに増えた。その時間はいつもは卒論に使われているが、その惰性みたいなエネルギーでこの本について話したいと思った。書評でありおすすめ本紹介であり、ちょっとした自己陶酔でもある文になるが、どうかおつきあいください。
ラゴスとの出会い
この本を最初に手にしたのは、我が家のサンタクロースの招待にうすうす気づき始めた位のクリスマスだった。(サンタクロースはいますが、我が家には来てません)その年の私の枕元には、「ジャイロスコープ」「旅のラゴス」「何者」の3冊の本と、図書カードだった。(今思えばうちのサンタ読書推しすぎである。図書カードて。)
この3冊の並びで「おや」と思った人。読書好きが過ぎる。第1回新潮文庫紅白本合戦と題されたイベントで、「男性に売れた本」TOP3である。この前第9回目を迎えていた。とにかくその本が枕元に置かれていた私はその日のうちに全部読んでしまった。どれも面白かったがその中でも特に…
「旅のラゴス」は私の中で衝撃だった。
「ジャイロスコープ」「何者」も面白かったし、両作家とも、著作は全部読んでいるくらいファンになった。しかし、「旅のラゴス」は当時の自分にとって衝撃的な著作であった。
本作の主人公「ラゴス」は時空を超えるのだが、この本を読んでいた時の私がまさにそうだった。誇張表現でもなんでもなく、本を開いて、本を閉じたら1時間半くらい時計が進んでいたのである。それくらい没頭する本にあったのはこの本ともう1冊くらいである。
世界観、文体、口調、登場人物……すべてが完璧に見えた。本当に面白かった。実家からわざわざ下宿先にもっていった唯一の本であり、移行おすすめの本を聞かれたら食い気味に進めてしまうくらいには私の読書経験に革命を起こした本だ。
前置きが長くなってしまったが、私にとってはここが山場である。何なら今すぐこんな文章は閉じて書店で買おう。読もう。と言いたい。しかし、ここからちょっとだけ内容についても語りたいのですごい暇なもの好きな人はぜひ。
「旅のラゴス」とはどのような物語か
「旅のラゴス」の良さについてさんざん抽象的かつ主観的なかたっりを残してきたが、じゃあどのような物語なのかと聞かれると説明が難しい。
ジャンルで言えばSFになるが、いわゆる宇宙人とか、人体実験とか、アンドロイドとかは出てこない。なんなら、初めは遊牧民の集団と生活するところから始まる。しかし、全体的にスピリチュアルな聞いたことのない固有名詞の羅列を追っていけば、牧草のにおいや、そこの暮らし、そしてSF(少し不思議のほう)の要素がたしかに感じられる。文章力が卓越していると言わざるを得ない。
主人公のラゴスは空間転移ができる。いでわゆる超能力である。あんまり言及はない。とにかくできるのである。その能力を使ったり使わなかったりしながら、彼はひたすらに旅を続ける。
道中で彼は様々な超人や超常現象と出会う。動物とシンクロしたり、壁抜けしたり、夜に「こわいもの」が出たり…中には奴隷に落とされたり、国王になったり。そのような出来事が連なる長編である。
この本の魅力の一端が、主人公のラゴスによっても担われている。彼の行く先々での主張具合、(介入具合といったほうがいいかもしれない)がちょうどよいのである。まさしく「旅人」のスタンスが崩れない。
殺人事件が起きても解決しようとはしないし、「絶対に破ってはならない」ことは破らないまま、読者も答え合わせができないままにするし、奴隷商人に無謀な反撃もしないし、あげるときりがない。
しかし、彼の不思議な魅力から、行く先々で何かしらに巻き込まれるのであるが、本人は一貫して、時に読んでいる側も「そんなにあっさり?」と思ってしまうくらいの「旅」を続ける。そんな彼の距離感の絶妙さ、心地よさをぜひ実感してもらいたい。
ラゴスは女王に会えたか
そんな「旅のラゴス」であるが、最も気に入っているのが終わり方である。小説において、終わり方は作品全体の印象を決定づける大事なものである。その点において、私はこれまでの読書経験の中で「旅のラゴス」が完璧だと思っている。
読み返すたびに、初邂逅の時にはよくわからなかった諸設定がわかるようになり、毎回楽しめるのだが、必ず最後には同じ気持ちで本を閉じる。
「秋晴れの日に深呼吸した時の涼やかな感じ」とよく友人には言っているのだが、普段そんな比喩表現を使うキャラではないため大体苦笑される。しかし、これまでの経験で一番近いのは本当にこの感覚なのである。
旅の最後に、厳密にいえば当初の旅の目的を果たした後に、それでもラゴスは旅に出る。とにかく北に、存在も不確かな女性の影を追いかけて。ここまでの旅が一応は「大義」によるものであるとするならば、完全にラゴス個人の目的のために旅に出るのである。動機は恋心ではないような気もするし、憧憬でもないような気もするし、本能でないような気もするし、そのすべてのような気もする。とにかくよくわからない感情に突き動かされてラゴスは初めて自分のために旅をする。
そして、最期。その女性—文中では「氷の女王」という表現があるーがいるとされる場所の手前の森、誰もその森を通らず、先には氷の国があるとされる針葉樹林が連なる極寒の森の手前で、森の番人に別れを告げるところで終わる。その後の顛末は語られない。ここで表題である。
ラゴスはその後どうなったのか。
これについて話したいがためにこの文章を書いた。ここからは完全に私個人の感想である。そしてこの考えは初めて読んだ時から変わっていない。
それは、ラゴスは間違いなくそこで生涯を終えるということである。
答えになっていないかもしれないが、本当に現実的に考えるならば、人が住めない極寒の地に、確証もない国を求めていくこと自体あり得ない愚行である。ラゴス自身も死の影を感じてはいる。すなわち、たどり着けるにせよ、つけないにせよ、ラゴスが向かうのは死出の旅である。しかし当人は本当に最後まで「旅人」であり、そこには死ぬことへの悲壮感や、反対に「絶対に会う」という使命感もない。だからこそ、ここまでともに「ラゴスの旅」ではなく「旅のラゴス」を読んできた私が抱くのは森の番人が最後にかけた言葉と同じである。
ラゴスが氷の女王に出会えることを、私は祈っている。