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猫又のさら

落語:猫の皿
妖怪:猫又


とある寺の境内で雀を狩ろうとして逃げられ「残念」と呟いたのを和尚に聞かれてしまった。
人前で人語を話せば襲われることがあり、私は慌てて逃げようとした。
すると和尚は「これは奇なり。猫が人の言葉を話せるのか」と聞いてきた。
無言で和尚を見返すと「ほう、通じておるな。他にも何か話してみせよ」という。
私は一定の距離を保ち、和尚を観察した。
敵意はないように見えた。
それでも何も言わずにいると和尚はくるりと向きを変え歩き出した。
「腹が減っておるだろう。何か食べものを持ってこよう」

ふちが欠け、ひびから汁が滴りそうな粗末な茶碗を私の前に置いた。
「高麗の梅鉢ではないのか」
不満を漏らすと、和尚は虚をつかれたような顔をした。そして落語まで嗜んでおるのかと豪快に笑った。

それから私は寺で暮らすようになり、雀を狩らない代わりに食事が与えられた。
他の者がいる時は行儀の良い猫を演じ、和尚とふたりになると私が見聞きしたことを話した。
和尚は懐の深い人であったし、まだそこまで人の世に通じていなかった私に道理とその難しさを説いてくれた。
しかしその関係は突然終わった。
私たちが語らいの場所としていた庭先の木の下で、和尚が殺された。

首元から血が流れているのを見て、何者かが猫の仕業だと言った。あれはただの猫ではない、妖だと。
私は追い立てられ、逃げるしかなかった。
しかし私を追う者の中に、和尚の血のにおいを放つ者がいることに気付いた。
私の仕業と言い放った者であった。
身を翻し、そいつの首に牙を喰い込ませた。

私は人間ふたりを殺めた猫又として、恐れられるようになった。
もっとも一人は本当に私が噛み殺したし、和尚の仇討ちと認められるはずもなかった。
とても町には住んでいられず、何里も離れた山へ逃げた。

そこで出会ったのが窯元の男だった。
男は目が悪いようで、私の顔をまじまじと見つめ「おや、猫であったか。真っ白な花びらに黄色の芯、夏椿が咲いておるのかと思ったわ」と笑った。
もちろんそれは男の独特な表現だったが、和尚にも目の色がいいと褒められたのを思い出した。

男が暮らすあばら家に私は居付き、仕事を眺めた。
歪か愛嬌か判じかねる茶碗を男は幾つも焼き、里へ降りる時に携えていた。
あのような茶碗が売れるのか甚だ疑問だったが、男はいつも貧しかったのでまあそういうことだろうと思った。
あまりに食べる物がない時は私が狩りに出て調達してやった。
男は心の内を垂れ流すようにいつもひとりで喋り、私は時々鳴いて相槌を打った。

ある日、里で暮らすことになったからお別れだと言われ、そこで初めて「世話になった」と言葉を発したら男は尻餅をついて驚いた。
「言葉を理解しているとは思っていたが、話すこともできたとは……」
最後の晩は語らい、和尚の話をすると悔しかったであろうと涙してくれた。

あばら屋が朽ち果てる頃、窯元の男の友人が山を登ってきた。
「言葉を話せる猫とはおまえのことか」
私はニャーと鳴いた。
「我が家へ連れて帰るつもりだが、脇に抱えられたいか、自分の足でついてくるか」

「私よりはやく山を降りられるものなら抱えてもらいたいね」

友人はふんと笑った。
窯元の男との再会を期待したが、それは叶わなかった。
そのかわり窯元の男と面差しの似た女が私の世話をしてくれるようになった。友人の妻だという。
子どもが三人いる賑やかな家だった。

私の食事に使われる茶碗は窯元の男の作品だとすぐに分かった。
独特な図柄を指し「これは夏椿らしい」と友人が不思議そうに告げた。
私は「猫かと思った」と言った。

友人が亡くなり妻が亡くなり、大人になった子どもたちが私を引き取り、その子らも老いれば次の者へと、駅伝の襷のように私は託されていった。

猫又は生き永らえるが私と共にあった茶碗はいよいよ朽ち、夏椿はすっかり薄れた。
白と黄色の釉薬の名残が、私にだけその存在を思い出させてくれる。

花は咲いている。
私を呼ぶ声の中にいつも。

私の名前は猫又の——

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