破壊と創造
この2週間程くっちゃねと少しの夜の仕事(言い方)と基本ひきこもって、買い出しと外食以外外に出ないなんて生活が続いている。
あと幕末志士の実況動画を見てずっとおもしろそうだな〜と思っていたPUBGばかりやっている。
そもそも夜勤と宿直中心で毎月20万位稼ぐというのも無理があったのかもしれないが…。
「楽しく、幸せに」生きるために福岡に来た。
なのに福岡に来てからおよそ、しんどいことやつらいことばかりが起きているような心地がする。
ふざけんな、なんなんだよこれとしばしば思う。
余裕がなくなり、宿直バイトを辞めるに至った1週間程前は本気で関東に帰ろうかとも思った。
しかし人と話していて気づいた。
今回の鬱はなんかいつもと違う。
福岡生活の諸々の疲れや季節的な部分もあるし、二ヶ月弱頑張った夜の仕事のツケというのもあるとは思うが。
最近、心底「もう頑張れないな」と感じる。
「今までの自分を保てない」ような感覚。
そしてふと口にしていた言葉。
「あー、俺ぶっ壊れたんだ」
「ここ数年、今までの生き方の限界を意識してきていて、ずっとあくせくしてきたけど、いよいよ本格的に壊れるタイミングが来てるのかも」
「ぼくが楽しく幸せに生きるためには、関東の地で家の歴史の兼ね合いで作り上げてきた今の生き方や自分自身をぶっ壊さないといけないんだな」
「今までの自分は関東では壊せないから、壊して楽しく幸せに生きるために福岡に来たんだ。壊さないと楽しく幸せになれないから、楽しく幸せになるためにロクデモナイことばかり起きたのか」
「破壊と創造、自分に必要なのは仕切り直しでも立て直しでもなく、より根本的な復興なんや」
弱ってる時は人目をすごく気にするところがあったけど、最近は以前ほど人目が気にならない。
だいぶ落ちている実感はあるけど希死念慮はない。むしろ、食べ過ぎてることが多く「生きてる実感」に対する渇望が強いように思う。
関東で家の歴史の延長で生きている時のぼくにとって、精神科通院は「家の歴史の生贄」とか「家族に対する見せしめ」とかそんな気分や意味づけがどこか自分自身の中にあったような気がする。
だから「楽しく幸せに生きよう」とした時に、そのような精神科通院はマイナスでしかなく、辞める必要があると思った。だから主治医を説得して、精神科卒業をした。
最近はまた精神科にかかって、障害年金をもらうためにいろいろ手を尽くしてみようかな〜と思うようになってきている。
以前友人の一人に言われた。
「やそらさんの生きづらさや生活のしづらさが何に起因するものかはわからないけど、部分的に社会的補償や合理的配慮を受けるというのは現実的にありなんじゃないか?」
精神病とか精神障害とか、本当によくわからん。
手帳を取って、医者の見立てを書いてもらって申請する。そんな段取りやプロセスがあるらしい。
漠然と「社会に対する怒りや恨み」を抱いてきた。
それらをモチベーションに頑張ってきた節がある。反骨心やこなクソ!という感じで、自分の中から活力源を搾り出してきた。時には「恋」を通じてエネルギーとかを捻出してきた。
以前修論の研究報告をした際、自分は何かにどうしようもなくしがみついている。中途半端なところにいるけどどこにも染まりきれない感覚を強く抱いた。
自分の生きづらさや生活のしづらさに対して社会的補償や合理的配慮があり得るのだとしたら、理論武装を少しでも解くことができるなら、「社会」との折り合いや和解がだいぶ捗る。そこから降りた分だけ楽に生きれる。
そんな直感がある。
けどやっぱり精神科通院に抵抗感があって、まだ予約の連絡もしてないけど…。福岡のお母さんにオススメの病院は聞いてはいる状態。
精神科通院を再開し、手帳を取り、精神障害者になり、障害者年金を受け取ろうとするということは、「今までの自分の生き方」を破壊することにほかならない。
プライドだろうか
最後の意地だろうか
「今までの自分」はギリギリのところで完全降伏を拒んでいる。
そんな自分のあり方は、かつて新宿駅周辺で関わってきた生活保護の受給を潔しとせず、なんとか「自立」して生きようとする路上のおじさんたちの姿に重なって見える。
「今までの生き方」が自壊を帰結している。
それは、人生とクーンが唱えたパラダイムシフトの考え方は酷似している!というようなものとは質的に異なると感じている。
しがみついていた場所から飛び降りるような恐怖心、飛び降りたら最後、頑張ってきていたからこそ保てていた諸々のモノたちはどうなるのか?
飛び降りた先には本当にいま自分がイメージするような楽な生き方はあるのだろうか?
同時に、降りていった先で「今までの自分」とは違う、反骨心や社会への怒りや恨みが強すぎない自分として、生きたいような気もする。
この人生に、もっと安心感や平穏が欲しい。