「障害者は社会性がない」という評価に対する対抗言説について最近思うこと
「障害者は社会性がない」という評価に対して、「そうではない、社会経験を積む機会を奪われてきたのだ」という対抗言説をよく見る。
最近、自分自身体感的にその対抗言説の意味が、ああ、わかるかもと感じている節がある。
関東で自立生活運動の中にいた頃、ぼくが居たCILであるところのNPO法人は、よく言えば「介護者と当事者がいて、どっちが当事者がわからないような介護者が多い事業所」と専ら言われていたのですが、それは裏を返せば、法人に所属する介護者の大部分が「他の事業所や一般社会ではやっていけない人」であることをも同時に意味しており、そのような人が沢山いる事業所でした。
恩師に紹介されたCILを7年勤めた後、そんなCILから離れて福岡に移住する!と恩師に話した一年前の夏、ぼくは恩師からけちょんぱんに言われました。
イタリアでの出会いとご縁もあって今度は福岡から福島に移住するよ!と恩師に決定事項を報告した際も、ぼくは恩師からこってり搾られ、こてんぱんにされ、「どうせ重度訪問介護の介護者しかできないんだから、早く戻っておいでよ」と暗に言われました。
月末に提出予定の論文で精神障害者の中間支援施設であるやどかりの里を先駆的に始めた故・谷中輝雄さんは、「当事者の持つ力、可能性を信じて待つ」実践姿勢を持っていたというようなことを部分的にではありますが、書いています。
恩師からけちょんぱんに言われた事実と谷中輝雄氏の実践姿勢を対比するにつけ、「自分のことを信じてくれる他者が身近にいることのありがたみ」を考えさせられる今日この頃…。
自立生活運動や7年勤めたCIL、及び恩師にはもちろん大恩や恩義はあります。けど、だからと言って直接的に自立生活運動に貢献しようとか、恩師の研究や実践を少しでも引き継ごうとか、貢献しようと思う必要もないのかな…と最近は思う。
その恩義は別の形で返せばいい。
あのCILにいると、ぼくはどうしても「この社会で、他ではやっていかれない人間なんだ…」という事実を突きつけられ続けてしまう節がありました。それを払拭したくて、跳ね返したくて、関東を飛び出した部分もありました。
20代前半は確かに自分の人生大荒れで、あのCIL以外の社会ではやっていかれない人間だったと思うけども…。時を経て、いつぞや人前で話した際のパワポ資料で記したように、「自分の能力を評価されたい!」というし機運の高まりと共に、いやここまで力をつけた自分なら他でもやれるんでね⁉︎と内心自分自身への期待を胸に不安もありつつ飛び出したわけです。
こんな言い方はあまりしたくありませんが、自分自身、お世話になってきたCIL以外で社会経験を積む機会を奪われてきた節があるかもしれない…と思う今日この頃なのです。。
学生なのを理由にあの法人では雇用保険もずっと入れてもらえなかったし…。てかそもそも雇用契約書も交わしてないし、雇用条件の通知書ももらってないし…。自分を大事にしてくれない環境に長らくいると病むな〜という気分の高まりも確かにあった…。
自分自身にラベリングやレッテル貼りをたくさんしています。社会的なラベリングもあります。
そんな自分に早稲田大学のとある学部を主席で卒業した人は「頭が良い」と言ってくれました。ある経営者は、「めちゃくちゃ頭良くて、まともに議論したら論破される」とぼくのことを人前で評価してました。
社会的ラベリングを貼られまくり、恩師や自立生活運動の庇護下で、悪く言えば社会経験を積む機会を奪われてきたぼくには、これらの評価は余りにも自己評価からかけ離れているものです。
ぼくは自分自身を「関係性の中に生きる生き物」だと、いつぞや自己規定していたかと思います。恩師や自立生活運動の庇護下から離れて違う関係性の中で、自信を持って生きられるようになったなら、ぼく自身がよりエンパワーされるのかな。
そんなことを考えさせられる福島移住一ヶ月記念日、10月1日から入職している法人で歓迎会を開いていただき鱈腹飲み食いした夜