ツギハギ人生 距離 福音 機械絵 結婚と寂寥の因果 怖い人 不自然な当選 重罰の他律
1、ツギハギ人生
非信者は、地獄へ道連れにする癖に、偉そうに人の生き方に口を出す。
信者は、天国へ導くから、地獄へ落ちる生き方を警告するため口を出す。
信者には、神がこのように「戒めなさい」と命令されているから戒める。
警告しなさいともエゼキエル書で言われている。
同じ事をしても結果が違う。
非信者の口出しは、人を害する。
信者の口出しは、人に利益を与える。
非信者の口出しは、人を地獄へ道連れにする。
信者の口出しは、人を地獄から救い出して、天国へ導く。
同じ行為をしても、結果が全く違う。
非信者は、怒って他人の支配を企んで地獄へ道連れにする。
神は、人々が地獄へ落ちないように怒って警告して、天国へ入れるように導いて、永遠の幸せを与える。
自己中の特徴は、自分に都合の良いところだけ切り取って真似する。
そのくせ、他の人の行動で、自分に不都合なところは真似しない。
真似したいところは真似するけど、真似したくないところは真似しない。
口出しは真似するけど、ボランティアは真似しない。
自己中な人間は、虫のいいところだけを切り取ってツギハギだらけの人生になる。
俺みたいに虚弱体質で貧乏なら、ボランティアや慈善事業ができなくても、能力的に仕方がない。
しかし、能力が有るなら、他の信者のようにボランティアや慈善事業をするべきである。
俺の虚弱体質は、一日十数時間を作文に使っても数千文字ぐらいしか書けないところである。
小説家なら、一時間で5000文字以上を書く能力と体力が必要になる。
俺みたいに体力とスキルが低いと、物書きとして話にならない。小説家もジャーナリストも何らかの文章を書く仕事をする能力に達していない。
能力に見合った神への貢献が求められる。
前から何回か書いているけど、健康・知能・環境に恵まれたら、その分だけ神に対して貢献しないと天国へ入れない。
人の十倍も恵まれたら十倍の貢献を求められる。
価値観がツギハギだと、自分の言動を反省できなくなる。
なぜ、反省できないのか。それは、ツギハギで虫のいいところだけを上辺だけ真似しているから、本質を知らないからだ。
そのツギハギの元ネタになっている価値観が、なぜ、その価値観なのか判らないから、反省できない。
サタン側が、人々をこういうツギハギ価値観にして、神に対する罪を反省できないようにして、地獄へ道連れにするのが目的だ。
だから、サタン側は、こういうツギハギ価値観で自己中な生き方をしている連中を咎めないのである。
神の聖書なら、ツギハギではないから、反省できるため、何か問題があれば聖書を読んで改善できる。
2、物理的な距離
信者同士なら、親愛の関係だから、物理的に近いのは特に問題はない。
しかし、非信者同士の物理的に距離が近くても気持ち悪いだけ。
近ければ親密と思うのは思い違いである。
親愛だから近いのである。
心理学的に、距離が近ければ精神がパニックになって親密だと洗脳されてしまう。
信者は、非信者を挨拶しないし受け入れないから、距離も近づかない。
信者は非信者に対して、挨拶しない物理的な距離をとっている。
仕事なら仕方ないけど、私生活では挨拶しない。神は仕事をしなさいとも言っているから。
3、福音
福音とは「良い知らせ」の意味がある。
福音は、155年ごろに偽装キリスト教団が作った言葉みたいだけど、一応はそのまま使う。
注意点。次の話は、今の偽ユダヤのハザール人のイスラエルの事ではない。
旧約は「敬虔なイスラエル人」と「敬虔なイスラエル人を助ける異邦人」が天国へ入れた。
しかし「敬虔なイスラエル人」が居なくなって背教者だらけになったから、異邦人は天国へ入る手段がなくなった。
そこで、神はルール変更して異邦人も神を信じたら掟を守れば天国へ入れるようにした。これが福音の1つだろう。
4、機械絵
前に書いたけど、人工知能の創作でも、機械絵を認めろとか言って共存を要求する人は、画家同士で共存をしていると思い違いをしていている。
画家同士は競争しているから、共存どころか殺し合っているようなモノなのに、観察力がないと共存しているように見えているのだろう。
ココから前に書いたモノから追加。
観察力は能力ではなく性根に属する。
知能や経験があっても、根幹の部分は観察できない。
自分の悪い性根に邪魔されて、受け入れなくなるから、物事の奥底まで観察できなくなる。
観察力がないから思い違いをする。
観察力がないから絵が上手くならない。
観察力がないから売れる絵を描けない。
聖書をキチンと読み取れない人も、観察力がないから読み取れない。性根が悪いから読み取れない。
幼子のように素直な性根ではないから読み取れない。
性根が悪いと、観察しようと思っても、無意識で不都合な部分を見なくなるから、物事を見通せなくなる。
俺は自分の性根が悪いのを自覚しているから、少しは観察力が機能する。
自分の性根が悪いのを自覚しないと、観察力が全く機能しない。
観察力の無い人が、画家同士で殺し合っているのが共存しているように見えるのは、殺し合いや競争すらしてくれる相手が居ないから羨ましいのかもしれない。
誰にも相手してくれない人生だから、機械絵で競争しろ相手しろと要求しているのである。
5、結婚
結婚して寂しくない。
結婚しなくて寂しい。
この極端な二択しか用意しない卑怯者。
実際は次のような4種類になる。
結婚して寂しくない人。
結婚して寂しい人。
結婚しなくて寂しくない人。
結婚しなくて寂しい人。
結婚しているとストレスが少なくて病死が少ないというのは間違い。
結婚していると病死が少ないというのは、意味が違う。
結婚していると脳梗塞になっても配偶者が見つけてくれる可能性が高いから、脳梗塞による死亡率が低いだけ。
老衰で死ぬまで、病気で倒れても見つけてくれるだけ。
人によっては、見つけても見殺しにするために放置される場合もある。
嘘を吐く人間が統計を悪用する。
結婚していなくて倒れた人は、見つけてくれなくて死ぬから病死にカウントされる。
結婚している人は、倒れても見つけてくれるから、病死にカウントされないけど、老衰するまで生きて死因が老衰になる。
そのカウントの仕方を取り違えると間違える。
結婚しているから病気にならないわけではない。
結婚しているから倒れても発見されて、助かっても後遺症で寝たきりになって介護されて、人生が終わるまでベッドの上で過ごす。
離婚や家庭内別居もある。
聖書では、どの道、妻を捨てる。
6、本当に怖い人
本当に怖い人がいつもニコニコして怒らない理由がある。
それは、怒ると相手が死んだ時に自分が殺したと疑われるからだ。
相手が交通事故で死んでも疑われるため、いつもニコニコして怒らない。
相手を本当に殺して逮捕されない力のある人は、いつもニコニコする。
7、不自然な当選
権力はサタンが与えるから、政治家も得票数を与えられて当選した。
いくらサタンが権力を与えると言っても、選挙活動をしなくて得票数が0票の人を当選させると、あまりにも不自然過ぎて人々がサタンの存在に気付き、神の存在にも気付いて、神に立ち帰る。
神に立ち帰ると、地獄へ道連れにするサタンの目的を達成できないから、あまりにも不自然な当選はさせない。
繁栄もサタンが与えるけど、何の努力もしていない人を成功させると、あまりにも不自然過ぎるから、そこまではやらない。
ある程度の努力をしている人を出世させて、他人から見て不自然に感じないようにする。
8、重罰主義者は他律
非信者は、法律違反者が死刑や一生に渡って苦しまなければ気が済まない異常者である。
一生苦しめてどうするのか、という視点が全くない。
こういう他罰的で他律的な人間は、社会が崩壊するまで重罰化をしていくから、自制心がない。
他人に殴られるまで暴走して止まらないから、他律的なのである。
神の信者なら、犯罪者が被害者に謝罪して、二度と神に対する罪を犯さないで、神に立ち帰れば受け入れる。
ただし、改心しないなら永遠に排除し続けて絶対に赦さない。非信者みたいに、時間が経てばナアナアでなし崩し的に赦すというのは、ない。
非信者たちは、違反のルールを明文化しない、何をしたら赦すかというルールも明文化しない、コロコロ変える、一人一人でルールが違う。
神なら、ルールは聖書に明文化しているし、赦す方法も明文化しているし、コロコロ変えないし、信者一人一人でルールが違う事はない。
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