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聖書の仕事の定義 職人のエセ朴訥と能が能を呼ぶ 昨日の補足 勧善懲悪の短絡思考の原因

1、聖書の仕事の定義
自分の仕事の定義とは。

出エジプト記 23:12
あなたは六日の間、あなたの仕事を行い、七日目には、仕事をやめねばならない。それは、あなたの牛やろばが休み、女奴隷の子や寄留者が元気を回復するためである。
出エジプト記 35:2
六日の間は仕事をすることができるが、第七日はあなたたちにとって聖なる日であり、主の最も厳かな安息日である。その日に仕事をする者はすべて死刑に処せられる。

聖書に書かれている「何であれ、あなたの仕事をしなさい」とは自分の仕事である。
会社の仕事ではないし、国家の仕事ではないし、社会の仕事ではないし、他人の役に立つ仕事でもない。
貴方の仕事、自分の仕事、というのは人生の仕事である。

神に仕えるために慈善事業をするのも、自分の仕事になる。
聖書解釈も自分の仕事になる。

非信者は、実際に役に立っているかどうかを全く考えない。
役に立っていると言われたら妄信する。
邪魔になっていても役に立っていると思い込む。
自分に好都合だから妄信する。
雇用創出で社会の重荷の癖に、軽荷の人を侮辱する。
大きなマイナスの癖に、小さなマイナスの人を冒涜する。

非信者は、神を捨てたから、本来の「神に仕える仕事」を見失った。
そのため、社会の仕事を代替品に使っている。
異常に社会の仕事に固執するのは、仕事中毒になっていて、仕事を自己顕示欲や自己正当化に利用している。
社会の仕事が自己正当化の道具になっている。

2、職人のエセ朴訥と能が能を呼ぶ
前に、板前が娼婦や買春男とトラブルになったと書いた。
本来なら、買春男やラウンジ経営者が悪いのだから、そいつらに対して訴訟をする必要がある。
しかし、そういう世事に長けた職人から、商品や作品を買いたくないのだろう。
娼婦に対してだけ訴訟をチラつかせるのはダメだろうな。
買春男やラウンジ経営者に訴訟しないのは公平性がない。
公平性がないし、娼婦にだけ訴訟をするのは、妙に世事に長けているイメージを与える。
訴訟をするイメージがない風にブランディングする必要がある。

料理が不味いのを話術でカバーしているのではないかと思ってしまう。
そういう話術とか世事に長けている料理人の店に行かない。
それで、生き残っている料理人は、妙に口下手なタイプになる。
もう少し言うなら、口下手な演技をする職人だけが生き残る。

タレントでも純真な演技をして売るのが存在する。
実際は、私生活は酒・タバコ・その他色々、何でもありをしている。
実際はどうであれ、客にイメージを売るのが上手いタレントが生き残る。
私生活が純粋でも、客前でイメージ作りに失敗したら売れない。

芸術もイメージ商売・人気商売だ。
朴訥な芸術家のイメージがある芸術家から芸術品を買いたい。
変に世事に長けた芸術家から芸術品を買おうと思っても、高値で粗悪品を掴まされるのではないかと疑ってしまう。

芸術品を扱う商人から買うのは、むしろ高い値段で買うのも芸術の範囲内みたいなところがある。
サタン側が値段を吊り上げているのかもしれないけど。
悪魔崇拝の作品の値段を吊り上げて、それで人々に悪魔崇拝が儲かると思わせて、悪魔崇拝をやらせて、地獄へ道連れにする。

アニメやゲームのキャラ設定と同じ。
人々は、設定を食べている。
リアルの世界で設定で生きている。
ステレオタイプな分類をする。

設定の世界で生きる非信者は、サタン側が用意した檻の中や牧場で暮らしている。
聖書で「空の鳥は種まきもせず食べていける」と書いてあるのは、自力で野生で生きている動物は、設定なんかなくても生きていける、という意味もあるのだろう。

芸術家やクリエイターに成ろうとしているのに、余計な文言やマークなどを付け足して客を散らす奴ら。
イメージ商売を判っていないから、無駄に付け加える。
無駄なモノを付け加えると客が離れる事はあっても、客が近寄ってくる事はない。
余計なアピールは、世事に長けているとみなされる。

能力があるけど、能力がない演技をする。
能ある鷹は爪を隠す。
実力のある人は、誇示しない。
自分から有能だとアピールする人間は、能ある鷹だろうか。
職人としての能力のある人は、客が抱いているイメージを壊さないために、自分で商売をしないし、口下手の演技をする。
変にアピールする人間は、頭がいい振りをするけど、客からは頭がいいと判断されない。
イメージを壊して客商売を台無しにするようでは、好印象にはならない。

能力に能力が付く。
金が金を呼ぶ。
友が友を呼ぶ。
力が力を呼ぶ。
持てる者がさらに持てるようになる。
金持ちがさらに金持ちになる。
人気者がさらに人気になる。
良いモノが売れるのではなく、評判がいいモノが売れて、売れるモノがさらに売れる。
芸術の才能のある人は、大抵は他の色んな能力が引っ付いてくるから、朴訥なわけはない。
何らかの能力が身に付けば、話術も身に付くし、思考力も身に付く。
朴訥なキャラを演じる能力がついでに身に付いただけ。

職人も、モノ作りの能力があるし、その能力にイメージ戦略の能力が付いてくるし、演技力も付いてくる。
モノ作りの意識がないと、イメージ戦略の意識もないし、客の気持ちも意識しないし、演技力も意識しない。

自称芸術家の動画投稿者も、芸術家の癖に、変に世事に長けている自分に酔って、アレコレとペラペラ口出しする奴は、本当に能力があったと仮定しても作品は売れない。

売れている芸術家は口下手な振りをしているだけで、私生活ではペラペラペラペラおしゃべりしているかもしれない。
仕事で礼儀を強要されると、反動で、私生活で無礼な振る舞いをしたりする。
口下手な演技を強いられると、反動で、私生活はペラペラペラペラおしゃべりに歯止めが掛からなくなったりする。
たいていの人は、仕事で我慢を強いられるから、反動で、仕事が終わると酒を飲んで、お笑い番組でゲラゲラ笑って、性犯罪者のタレントを擁護する。

逆に仕事で話術を求められると、反動で、私生活では無口で不愛想になる。

能力が能力を呼ぶ。
ただし、1つしか暗記できない人も存在する。
普通は、頭を使って能力を習得したら、その能力を使って別の能力のコツも掴めるモノだ。
しかし、頭を使わないで丸暗記すると、別の能力を掴むコツに使えない。

200年前の人の方が知能が高かった話がある。
自分の頭で考えて技能を習得するから、機会が要らなかったし、既製品も要らなかった。
サタン側が人々の知能をそぎ落として、神に立ち帰る思考力を潰したかったから、機械化とか産業革命をしたのだろう。

200年前の人々に比べて知能が低いのは、エセ予防薬の薬害のブレインフォグで考えられなくされたからだろう。
そのため、能力が能力を呼ぶのをブレインフォグで妨害している。
エセ予防薬が注射されるようになってから、人々の知能が低下していったのだろう。

最後に少し書く。
買春男は何らかの商売で金儲けをしているのだから、買春男の商品を買う奴らも悪い。
善意の第三者みたいにはならない。
犯罪企業から商品を買うのは犯罪者である。
麻薬マフィアから麻薬を買うのは、犯罪組織に資金を提供して、さらに犯罪を増加させる悪行である。
その資金で銃を買って誰かを殺すから、間接的だけど実質的な殺人罪である。麻薬を買わなければ殺人も発生しなかった。
買春男の商品を買わないで、正常な商品を買えば、正常な雇用が発生して、娼婦も体を売らなくても正常な商品の販売で生計を立てられた。

3、昨日の補足
昨日、書いた、移民と独立国で、一応、言うけど、無神経で図々しい奴らの方が独立国を持てる。
独立国を持つ民族は、神の土地を勝手に私物化する犯罪者だからだ。
サタンに権力と繁栄を与えるのを、神に任されている。
だから、サタン側は、神に逆らう無神経で図々しい奴らに独立国を与える。
神に公正のチャンスを与えられておきながら、神を捨てて、神の土地を不当に私物化する。

日本人なんか、天の主を忘れて、神の土地を私物化して、神によって先進国にしてもらったのに、自分の手で富を築いたと増長するような連中だから、無神経で図々しい自己中である。
上っ面は大人しい善人ように見えて、腹の底は犯罪者だから、日本人は国を持てるのである。
本当の犯罪者は、自分が犯罪者なんてアピールはしない。
本当の犯罪者は、自分が犯罪者と判断されるような言動をしない。
ただし、いくら自分が犯罪者ではないとイメージ戦略をしても、判る人には犯罪者だと見破られる。
所詮は犯罪者だから、隠しきれないでボロを出す。

悪役レスラーは、悪人の演技をしているだけで、悪人という訳ではない。
本当の悪人は、悪人だと判りやすい言動はしない。

4、短絡思考の原因
非信者が、敵か味方でしか物事を認識できないのは、自己中で、神に背くからだ。
自分が正義側に居ると妄信したいから、「敵VS味方」と「悪VS善」の単純な対立構造しか頭に入らない。

神に背くから短絡思考なのか。
短絡思考だから神に背くのか。

神に背く生き方によって、こういう短絡思考でしかモノを考えられないようになる。
短絡思考だと神に立ち帰る可能性が低いため、短絡思考の奴らをサタン側は殺害のターゲットにする。

前から何十回も言っているけど書く。
悪人を叩いても、自分が善人だという証拠にならない。
悪人を叩いても、自分の悪行が赦される理由にならない。
自分の悪行が赦されたいなら、被害者に謝罪して、金があるなら賠償して、神に立ち帰って、二度と神のルールを破らない生き方をする必要がある。
そうすれば死後は天国へ入れる。

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