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パウロは普通の人間 信じるをデートで例え 極道は判ってる 多数決と結婚しろ多数決が良いなら 警告と説得 捻じ曲げ翻訳 来世 運よく近く 二択ディストピア 使徒言行録 パウロ文

1、信じるとは
黒いモノを白と言われたら白と答えるのが信じるという意味。
軍人は、上官が、黒いモノを白と言ったら白と答える。
軍人は、自分の目で黒いモノを見ても、上層部が公式発表で白と答えたら、自分は白を見たとマスコミや他人に証言する。
自分の目で見た事実を優先しない。
軍人の方が、信じる意味が判っているから、天国に近い。
新約聖書でも、百人隊長と部下が救われた。
知識だけ、内容を把握しているだけでは、軍人より天国に近いか遠いか。
中途半端な気持ちで内容だけ暗記した人間よりも、聖書すら知らない軍人の方が天国に近い。
軍人は、突撃命令が出たら、100%死ぬのが判っていても突撃する。
これが信じるという意味。

2、間違わない主
ましてや、天の主は間違わない。
白いモノを白いと言う。
黒いモノを黒いと言う。
白いモノを白いと神が言っているのに、なぜか、多数決では黒いとか、科学者は黒いと言っているとか、権力者は黒いと言っているとか、自分は黒いと思うとか、本当に白いのかとか、屁理屈を捏ねる。
地球教徒の事だぞ。
フラットアースと神が言っているのに、多数決では地球は有るとか、科学者は地球が有るとか、権力者は地球が有るとか、テレビでは地球が有るとか、イメージ画像が有るとか、自分は地球が有るとか、屁理屈を捏ねる。
再現性を確保していないのに、言い出す。

3、百人隊長

わたしも権威の下に置かれている者ですが、わたしの下には兵隊がおり、一人に『行け』と言えば行きますし、他の一人に『来い』と言えば来ます。また部下に『これをしろ』と言えば、そのとおりにします。」
イエスはこれを聞いて感心し、従っていた群衆の方を振り向いて言われた。「言っておくが、イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない。」
使いに行った人たちが家に帰ってみると、その部下は元気になっていた。

ルカ福音書 7章8節から10節 新共同訳

「権威の下」とは、信じるとか絶対服従の意味。
行けと言えば行く、来いと言えば来る、こうしろと言えばその通りにする。
これが信じるという事。
突撃しろと命令したら、100%死ぬのが判っていても突撃する。
天の主の化身であり神であるイエス・キリストも、こういう軍人の心構えを信仰と称して、他に見た事がないと感心した。

新約聖書:ルカによる福音書:14章:26節
「だれでも、父、母、妻、子、兄弟、姉妹、さらに自分の命までも捨てて、わたしのもとに来るのでなければ、わたしの弟子となることはできない。

神の弟子になった。だから部下は病気が治った。

4、デートに例える
信じるとは、相手がパスタを食べたいと言えば、パスタの店に行く事だ。
相手はパスタを食べたいと言っているのに、牛丼をみんな(多数決)が食べているとか、テレビでは焼肉を勧めているとか、料理研究家は「ちゃんこ鍋」がおいしいと言っているとか、科学者は化学調味料を使った料理がおいしいと言っているとか、そういう屁理屈を捏ねる。
こんな人間は、絶対にビンタ喰らって振られる。
結婚できない。
結婚できても、相手の気持ちが判らなくて、結婚生活が上手くいかない。
なんで、神の国を結婚に例えられるのか、判らないのか。
結婚を多数決で決めるのか。多数決が良いなら多数決と結婚しろ。
結婚をテレビで決めるのか。テレビが良いならテレビと結婚しろ。
結婚を研究家で決めるのか。研究家が良いなら研究家と結婚しろ。
結婚を科学者で決めるのか。科学者が良いなら科学者と結婚しろ。
結婚を虚栄心で決めるのか。虚栄心が良いなら虚栄心と結婚しろ。
結婚を世間体で決めるのか。世間体が良いなら世間体と結婚しろ。
世間体なんか実質的に多数決だ。
俺はこんなもので結婚相手を選ばない。
ビンタを食らうように、フラットアースに難癖を付けると、神が怒って剣を振り下ろす。

結婚で上手くいくには、気が合うか、価値観が合うか、相手の気持ちが読めるの3つの要素が必要になる。

5、幸せを願えとは言ってない
天の主が幸せに成るように願えとは、聖書に書いていない。
天の主の栄光を願えとは書いてある。
もし、神が幸せに成るように動けと言われたら、難しくてどうにもならないと思う。
人間を幸せにするのですら、とんでもなく難しいのに。
神を幸せにしろなんて聖書に書いてない。
「幸 主」を探す - 聖書検索(口語訳) (kirisuto.info)
「幸 神」を探す - 聖書検索(口語訳) (kirisuto.info)
人が人を幸せにするのは難しいし、人が神を幸せにするのも難しい。
だから、幸せにしろと聖書に書かなかったのである。

6、パウロの幸せ
パウロを信仰している割には、パウロの幸せを願っていない。
パウロを偶像崇拝したら、パウロが地獄へ落ちそうだ。
信仰している相手を地獄へ落とそうなんて、よく考えられるな。
考えてないのか。
パウロの人生が幸せだったと思うか。
あんな成長しない聴衆や弟子を相手に、同じことを繰り返すような人生が、本当に幸せだったと思うか。
ローマ帝国の仕込みの聴衆と弟子かもしれないけど。

7、パウロは普通の人間
パウロは、普通の人間の範疇にある。
生まれながらの市民権という特権階級に生まれて、ローマ帝国にチヤホヤされて思考誘導されると、大抵の人間はあんな感じになる。
パウロは、相手の気持ちが判らない、身分差別、職業差別、暴力気質、もったいぶる、逆恨み、節穴、プライドが高い、異常に他人に厳しい、性格破綻、ローマ帝国に片方八百長で転がされるなどの特徴がある。
日本の世襲議員の息子を見てみたら、大体、判るだろう。
普通の人間が厳しく育てられないと、大抵、こうなる。
たかだか、大学へ入るための勉強をしたぐらいで、努力したとチャンチャラおかしい増長を言うぐらいだからな。
出世したいなら、誰でも努力する。
ましてや、将来の出世が約束されていながら、努力できない方がおかしい。
大学へ入れば政治家に成れるのが確定していたら、誰でも大学へ入るぐらいの努力は出来る。
世の中にはチャンスすらない人も存在することが判らないのだろう。
よほど教育されないと、普通の人間は、こういう性格に育つ。

8、人を信じると恋人を信じる
「人を信じる」と「恋人を信じる」は一文字を入れるだけで意味が違う。
「神を信じるとは」と「信じるとは」では、全く意味が違ってくる。

9、極道
ならず者を集めて活躍する士師の話が聖書に出てくる。
ならず者とは、今でいうところと極道とか、そういうのである。
極道は「信じる」を判っている。
親分が黒いモノを白と言えばしろと答える。
親分の代わりに、身代わり出頭して、何の不満も言わない。
聖書で軍人が救われて、ならず者が士師と一緒に活躍するのは、軍人や極道は「信じる」を判っているからだ。
良民が活躍せず、ならず者が活躍するのは、ならず者の方が「信じる」を判っているからだ。
表面的な知識ではなく、心から信じるを判っている。
パウロ教と地球教の両方を同時に信仰している人間に対して、「結局、お前は、どっちやねん」と思う。
多分、極道も似たような事を言うと思う。
どちらの陣営からも言われるだろうな。

10、軍人とキリスト
軍人とキリストの親和性は高い。
日本だと、徳川幕府がキリストに親和性の高い人間を虐殺したから、日本は異常に軍事的に弱い国になってしまった。
良いか悪いかはともかく、外国相手によく負ける国になった。

11、警告しろではなく説得しろだったら
もし、エゼキエル書33章で「警告しろ」ではなく「説得しろ」だったら、俺は自分が立ち帰えるかどうか自信がないな。
警告なら一方的に言い捨てるだけでいい。
説得だと、相手が納得しないと説得と見なされなくなる。
相手が性根腐れだったら、「その説得は説得と思わなかった」と嫌がらせをするに決まっているからな。
そんな説得なんか、やってられない。
パウロが勝手に説得しているだけ。
ローマ帝国の暴力を無意識に利用して。
背教者が地獄に落ちてから「何でもっと強く言ってくれなかったのか」と文句を付けても、神に命令されたのは「警告」であって「もっと強く言う」事では無い。
「何で力ずくの暴力で止めてくれなかったのか」と言われても、神に命令されたのは「警告」であって、「暴力で止める」事では無い。
警告とは、一回だけ言い捨てるものだ。
強く言ったら脅迫になるし、暴力を使えば強制執行になるから、警告ではない。
むしろ、脅迫や強制執行したら、神が怒る。
神が偶像を並べるのは、人々が自主的に天の主を選んで欲しいからだ。強制執行したら、自主的にはならない。

12、知識について 憶測
外典に書いてあったと思うけど、知識はつまらないモノとか、悪魔が人に技術を教えて悪がはびこったと書いてあった気がする。
シラにも書いてあるけど、自分の力を頼むのは、あまり良い事ではない。

お前の力に余ることを理解しようとするな。また、手に負えないことを探究しようとするな。
お前のために定められていること、それを熟慮せよ。お前に示されていないことを知る必要はない。
できないことに手を出すな。お前に示されたことは、既に人間の理解を超えたものなのだから。
多くの者が早合点して道を誤り、誤った推測で判断をゆがめてしまった。
〔目がなければ、光を見ることはできない。知識がないのに、知ったかぶりをするな。〕

シラ 3章21節から25節 新共同訳

外典の「ソロモンの知恵」や聖書で全般的に知恵について書かれているから、自分で聖書を読んで解釈して欲しい。

13、捻じ曲げ
聖書で、地球、太陽が沈むなどという誤訳をしているけど、他の聖書を読んでみる事をお勧めする。
分裂を不和などと捻じ曲げたりする。
「水を上下に分ける」というのを捻じ曲げ翻訳するのは難しいけど、「沈む」程度なら捻じ曲げ翻訳は出来る。
どれだけ捻じ曲げ翻訳されても、作者である神の気持ちが判っていたら、捻じ曲げ翻訳なんか妄信しないものだ。
見破れる程度の捏造しかしないのがサタン側である。
完璧に捏造すると、騙された方は悪くないと神が判定して、天国へ入国させるからだ。

14、沈むという言葉自体に意味が多すぎる
沈む(しずむ)の意味・使い方をわかりやすく解説 - goo国語辞書

1 水面上にあったものが水中に没する。水底へ下降する。また、水底につく。「ボートが―・む」「島が―・む」⇔浮かぶ/浮く。
2 周囲より低くなる。「地盤が―・む」「床が―・む」
3 下の物にめり込む。「柱が―・む」「頭が枕に―・む」
4 太陽・月などが、地平線・水平線より下へ移動する。「夕日が水平線に―・む」
5 飛行する物体・投球などが急にその位置を下げる。「機体ががくんと―・む」「ボールが打者の手元で―・む」

㋐望ましくない境遇・状態に陥る。「不運に―・む」「病に―・む」
㋑その心境になりきる。特に、暗い気持ちになる。落ち込む。「物思いに―・む」「悲しみに―・む」「―・んだ声」
7 地味で落ち着いた感じになる。「―・んだ鐘の音」「全体に―・んだ色調の絵」
8 色や模様などが浮き立たなくなる。また、存在が目立たなくなる。「黒っぽい背広にグレーのネクタイではネクタイが―・んでしまう」
9 ボクシングで、打ち倒されて立てなくなる。「マットに―・む」
10 ゲームなどで、最初の持ち点以下になる。「麻雀で一万点―・む」

「沈」という漢字の意味・成り立ち・読み方・画数・部首を学習 (okjiten.

①「しずむ」
 ア:「水の奥深くに入っていく」(例:沈没)
 イ:「おぼれる」、「水におぼれて死ぬ」
 ウ:「深入りする」(例:沈溺)
 エ:「夢中になる」(例:沈溺)
 オ:「迷う」
 カ:「落ちぶれる」
 キ:「弱る」(例:消沈)
 ク:「思い悩む」(例:沈思)
 ケ:「落ち着いている」、「静かに している」、「奥深く静か」(例:沈着)
 コ:「とどこおる(物事が順調に進まない)」、「とどまる」
 サ:「隠れる」、「ひそむ」
②「しずめる」
 ア:「水の奥深くに入れる」
 イ:「下の物にめりこませる」
 ウ:「望ましくない状況などに陥らせる」
 エ:「ボクシングなどの格闘技で、相手を打ち倒して立てなくする」
 オ:「ゴルフで、球を穴に入れる」
③「たまり水」、「小さな山(丘)にたまった水」
④「久しい(長い時間がたっている)」
⑤「泥(どろ)」
⑥「干潟(ひがた)(海岸で潮がひいたときに現れる砂や泥)」
⑦「沈香(じんこう)(ジンチョウゲ科の常緑高木で香木の1つ)の略」
⑧「漢姓(漢民族の姓)の1つ」

捻じ曲げ翻訳をしている偽装キリスト教団が、沈むをどういう意味で言っているのか、サッパリ判らない。
偽装キリスト教団が捻じ曲げ翻訳をやっていると判った上で読んだ方が良い。
善意に解釈しても、翻訳のルールが判っていないと思った方が良い。
翻訳のルールは、誤解を避けるためなら簡素な言葉に変える事だ。
沈むという言葉でなくても、消えるとか、見えなくなるとか、目から失うとか、誤解を招かない表現方法はいくらでもあるのに、なぜか沈むを使う。
意味の多い言葉を使うのではなく、意味が少ない言葉に置き換えるとか、簡素な言葉に置き換える。

「落ちぶれる」の意味だと、太陽がルシファーのクーデターに参加して負けて落ちぶれたから、元の地位に戻りたくて「沈む」という言葉を使っているのか。
サタン側は、日本の神道のように太陽信仰の悪魔崇拝も参加しているから、太陽を復権させたいのかもしれない。

どこかで「太陽は来たり遠ざかり元の所へまた来たる」という訳文みたいなのを見たけど、フラットアースが当たり前すぎて流してしまった。

15、繰り越し怒り
ここは、話題のネタ程度に聞いてくれるとありがたい。
昨日の追加。
旧約聖書を読んでいると、神の怒りがあっても、前回の背教者は天罰を先送りにされて、今回の背教者は天罰を下されているから、何で他人の罪で天罰が下されるのかサッパリ判らなかった。
しかし、魂だけがそのまま別の体に入ったなら、繰り越して怒って天罰を下すのは判る。
今回の世界で、何回か別の体へ魂だけ入れ替えて、人生を何度か経験しているのだろう。
最初に聖書を読んだとき、自分が怒られているように感じたから、自分は前回の人生に何か神を怒らせるような背教行為をしたのだろうかと思った。
俺が主観で思っただけ。根拠はない。

16、パウロ教と地球教
パウロ教と地球教を同時に信仰する鵺のような人間。
パウロもプライドが高かったから、気取ったような言い方をする。
パウロ教徒になると、パウロの気質が移る。
パウロを偶像崇拝する人の文章は、パウロの気質が移るから、気取ったもったいぶった文章を書くようになる。
文章は、人間性が直接的に出るから、定型文とか仕事用の文章でもない限り、性格を垂れ流しのダダ漏らしにしていると思った方が良い。
俺は、できれば文章は出したくなかったけど、エゼキエル書33章で神に警告しろと命令されたから、神の命令だから文章を出している。
神に命令されなかったら、絶対に文章を出していない。

17、運よく近く
イエス・キリストの近くに生まれただけの人々は、改心をあまりしなかった。
偶然、聖書の近くに生まれただけの普通の人では、本質的なところまで判らないのだろう。
偶然、クリスチャンの家に生まれただけでは、どうにもならないだろう。
古代イスラエルに生まれた人々は、神を冒涜しまくっていた。
神の姿と奇跡を目の前で見ても、神に逆らうからな。
軍人は信じる意味が判るから、軍人が聖書を読んだら天国へ入れる。
近くに生まれただけで優越感に浸っていると、どうなるのだろう。
イエス・キリストの近くで生まれた同郷のナザレの住民は改心する人は少なかったが、百人隊長と兵士は救われた。
パウロは、運よく市民権の特権階級に生まれただけで、あんなふうに性格が曲がってしまったのか。
パウロを等身大で判断すると、あんな評価になるため、神はパウロを演者に選んだから、言われっぱなしでは不憫だから、パウロの黙示録で汚名返上させた。
もしくは、ローマ帝国が「パウロを洗脳工作しすぎた」と思って、名誉回復のためにパウロの黙示録を作ったのか、神がそう仕向けたのか。
ともかく、近くに生まれたとか、イスラエル人として生まれた人たちは、100%捕囚になっているから、生まれ付きで優劣は無いと思って良い。

18、ディストピアの二択
今の背教ディストピアに慣れてきたのに、別の背教ディストピアになるのか。
今度はどんな背教ディストピアなのかな。
これが正直な気持ちだ。
日本の危機だとか訳の分からない論調や、新時代とか、ウンザリする。
日本を復活させるというけど、それはどんな背教ディストピアなのかな。
日本を開国させるというけど、それはどんな背教ディストピアなのかな。
極道の二択と同じで、どちらを選んでも闇の勢力に都合の良い社会になる。
極道の二択とは、トラブルになった時に選択肢が色々あるのに、なぜか極道に都合が良い二択を強要される。
選択肢は「家族に相談する」「警察に相談する」「ネットで暴露する」「マスコミに垂れ込む」「友人と協力する」色々あるのに、なぜか「金を払う」「契約書にサインする」という極道に都合が良い二択を迫る事だ。
それで、自分で選んだんだろうとか言って、不満を封じ込めようとする。

19、神を信じてないパウロイド
66巻を全て信じたら、それは、神を信じていない。
パウロ教団を信じているだけだ。
ここが偽装キリスト教団とパウロ教徒のおかしいところなんだよな。
なぜか、聖典を全て信じると神を信じていることになるらしい。
自分が何を信じているのか判らないのだろう。
俺は神を信じながら読んだら、これ、おかしいんじゃないか、と思うところもあった。
しかし、パウロの手紙は、結局は神が普及させたものだと判った。
パウロがパウロの偽使徒になって、偽使徒がどういう悪影響をもたらすのか、神がパウロを役者として使って実演させた。
本当の敬虔な信者なら、パウロの手紙は行き過ぎだと判るから普及しないため、誰かがパウロの手紙を普及させる必要がある。
それをパウロ教団が担った。
俺は、聖典を全て信じて、全て疑って、部分的に真偽を考えて、神の気持ちを全体的に考えながら読んだら、そういう結論になった。
信じるか疑うかの極端な人間は、極道の二択をしているだけで、何も考えていない。

旧約聖書:ホセア書:6章:6節
わたしはいつくしみを喜び、犠牲を喜ばない。燔祭よりもむしろ神を知ることを喜ぶ

知る事を喜ぶのだから、アレコレ他人と議論をしていても意味はない。
他人の解釈は、ただの参考にしかならない。
他人の解釈は、思考のキッカケや足掛かりにしかならない。
聖書を読んで神を知る事を神が喜ぶ。

20、使徒言行録
前から何回かに分けて思い付きで書いているけど、特に使徒言行録は、読み方に注意する必要がある。
書いたのは使徒ルカである。
しかし、使徒ルカが見た部分もあるかもしれないけど、使徒ルカが見た事を書いたのではない。
信者パウロの証言や、ローマ帝国の調書や、信者たちの証言や、他の使徒の証言などに基づいて、書いている。
誰の目撃情報なのか、誰の証言なのか、という視点を、その都度で考えて解釈する必要がある。
パウロを妄信していると、パウロの証言の不自然な点に気付かなくなる。
行動そのものもおかしいけど。
一、市民権の保有を言うのをもったいぶる。
二、市民権保有者の服装や腕章をしない。
三、説得は、実際はローマ帝国の暴力を背景にした宗教の強要をしている。
四、片八百されている。ヨハネ(マルコ)は気付いて怒って帰る。
特に片八百は、ローマ帝国が仕込んでいるため、ローマ帝国に提出する使徒言行録で、ローマ帝国の洗脳工作を糾弾するわけにはいかないから、濁して書くことになる。

21、パウロの手紙
そして、パウロの手紙は、ローマ帝国にチヤホヤされて、のぼせ上った状態で書いているから、浮ついたような文章になっている。
万能感に毒されている人間のような感じになっている。

22、パウロは暴力気質
暴力を使うのを自覚している人間は、暴力気質ではない。
暴力気質の持ち主は、自分が暴力を使っている自覚が無い。
dv男は、自分が暴力的だという自覚が無い。
実際に殴っても、相手のためとか言い訳をする。
パウロ教徒は、相手を殴っているのに、相手のためとか言い訳する。
相手を地獄へ道連れにしているのに、相手のためとか言い訳する。

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