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生きたい・死にたい感覚がない信者 言論の自由を盾に宗論を逃亡 議員給料の削減の罠 訂正

1、生きたい・死にたい感覚がない信者
「生きたい」「死にたい」は「逃げたい」である。
生きたい・死にたいと思っているクリスチャンは、クリスチャンではなく、偽クリスチャンである。
本当のキリスト者は生きたい・死にたい感覚はない。
イエス・キリストが迫害の冤罪で殺される危険があっても、逃げも隠れもしなかった。だから、キリスト者も逃げない。

生きたいのは、命に囚われているから。
死にたいのは、苦しみから逃れたいから。

非信者が「生きたい」「死にたくない」のは、自分の財産や才能を私物化して、殉教などから逃げているから。
非信者は、死後に地獄へ落ちるから、怖くて死にたくないのである。また、財産とかに未練があるから死にたくないのである。
非信者が「生きたくない」「死にたい」と思う時は、つらい人生から逃げたいからだ。

神の信者は命を殉教に使うモノと考えているため、生きたい・死にたい感覚はない。
だから、常に殉教を狙って、非信者の生き方が悪いと言って、非信者が逆上して迫害や冤罪で殺しに来るのを促すような言動をする。
無駄に生きたくないし、無駄に死にたくない。死ぬ時も殉教で命を有効に使いたい。
神に背くような無駄な生き方はしたくない。

非信者は中途半端だから、生きたいとか死にたいとか言い出す。

「わたしはあなたの行いを知っている。あなたは、冷たくもなく熱くもない。むしろ、冷たいか熱いか、どちらかであってほしい。
熱くも冷たくもなく、なまぬるいので、わたしはあなたを口から吐き出そうとしている。

ヨハネ黙示録 3章15節16節 新共同訳

中途半端だから、生ぬるいため、熱くもなく冷たくもない。
生きたい感情と死にたい感情が非信者の中に共存する中途半端で生ぬるい精神状態になる。

2、言論の自由を盾に宗論を逃亡
今の日本で殉教は難しい。
今の背教者は、自分自身の罪を糾弾されても、言論の自由と宗教の自由を盾にして無視して逃げる。
権力者は、相手の言論の自由を尊重しているのではなく、言論の自由を踏みにじると、聖書的に自分の罪を糾弾されている事に対して、全面的に相手しないといけなくなるから、言論の自由を悪用して逃亡する。
宗教の自由を悪用して宗論から逃亡する権力者。

ヘタにキリスト者を死刑にすると、勝手に後継者を名乗って、やりたい放題するニセ後継者が湧いて出てくるから、死刑にできない。
警察・検察・裁判所・大臣は、ニセ後継者を警戒して、無闇に死刑にしない。
どこぞのカルト集団が宗教の皮を被って私利私欲の大量殺戮でもしない限り、宗教家を死刑にしない。

権力者なんか所詮はサタン側なのだから、人々のために言論の自由を与えるわけがない。
言論の自由を与えるのは、宗論から逃げたいだけである。
しかも、実際の言論の自由はなく、パワハラや脅迫などで実質的に言論を封殺する。
名目的に言論の自由を与えて宗論から逃げて、実質的には言論弾圧する。

3、議員給料の削減の罠
ある政党が政治家の給料を減らすのは、自分たちは賄賂を要求して甘い汁を吸うから、給料を減らしても何の損もしないからだ。
他の政治家を蹴落として、自分の身内を政治家にするために、政治家の給料を削るのである。
金以外の利権が目当てなのだろう。
こういう正義の振りした悪人を信用してはいけないし、投票してはいけない。
詐欺師は善意の振りをして近づいてくる。
まあ、サタン側が得票数を決めるのだから、気を付けても意味はない。
支持する人を増やせば、不自然にならないように当選させる事ができる。
神に立ち帰れば、こういう悪人を消滅させる事ができる。

4、訂正
愛国者なら自国の悪いところを批判するとは言ったけど、国家は全てサタンの支配下だから、国を愛する時点で背教者になって地獄へ落ちるから、国を愛してはならない、と言いなおす。

自国を私物化している連中は、自国の悪いところを批判しない。自分自身が既得権益層だからだ。こういう連中は、愛国ではなく保身である。

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