どちらを選んでも地獄行き 安息日に働いて外国進出失敗 特別扱い 同じ質問の対処 口出し
1、どちらを選んでも地獄行き
サタン側の目的は、人々を地獄へ道連れにする事。
創作の世界で、出世競争に疲れた主人公が、自給自足へ逃げるけど、どちらも地獄へ落ちる。
畑を捨てろと聖書にある。
自分1人だけ自給自足へ逃げるのは、自分の命を惜しんでいる
出世もダメだと言っている。
上座に坐るという出世はダメだし、畑を持つのもダメ。
出世競争か自給自足生活か、という極端な二択のどちらも間違いであり、サタン側が人々を地獄へ道連れにするために考えた罠だ。
サタン側にとって、自給自足が本当に不都合な生き方だったら、そんなのを創作で書かせないし、自給自足できないように個人で土地を持てないようにする。
創作業界はサタン側が支配しているから、その作品の中で描かれている人生は、どれもこれも地獄へ落ちる生き方である。
差別しないのも、神の掟以外で差別するのも、どちらも地獄へ落ちる。
神の掟に基づいて差別するのが正しい。
挨拶してはならないと言っている。
神の教えに基づいて、挨拶する相手を決める差別をする必要がある。
差別しないのは間違いだし、神の教えに基づかない差別も間違いだ。この二つの極端な選択肢は、人々を地獄へ道連れにするためのサタン側の罠だ。
命を惜しむのはダメ出し、命を神に背く方向で捨ててもダメ。
自分の命を惜しんではならない。
自分の命を惜しんだり、無駄な捨て方をしてもいけない。
神の教えに基づいて、人々に神の教えを諭して、迫害されて冤罪で殺されて殉教を選ぶのが、命の正しい捨て方であり使い方である。
命を惜しむのは間違いだし、神の教えに基づかない捨て方も間違いだ。極端な二択は両方とも地獄へ道連れにするためのサタン側の罠だ。
人々の盾になって、サタン側が人々を虐殺できないようにする。
神の信者を殺すと神が怒って最後の裁きを前倒しにして、サタン側を地獄へ落として焼き続けるか魂を消すから、サタン側は信者を殺せない。
自分1人だけ自給自足へ逃げて命を惜しむと、そういう奴は絶対に信者ではないから、サタン側の虐殺の対象になる。
聖書を読めば、サタン側の罠を一秒で見破れる。
聖書を読まないと、サタン側の罠を一生かけても見破れない。
畑や土地を持つのはダメだけど、強制的に土地を没収して良いわけではない。
暴力で土地を没収したら天罰が下るようになっている。
聖書では、隣人の土地を武力で殺人強盗した悪いアハブ王は誅殺された。
自主的に土地を捨てるのが大事なのである。
2、安息日に働いて外国進出失敗
安息日に休まないと天罰が下る。
安息日は、金曜日の日没から土曜日の日没まで。
変な企業が危険な外国へ進出して大損するのは、安息日に休まないで、データを集めないからだ。
安息日に休めば、危険な国が判るのに、休まないから危険な国が判らない。
コツコツ働いて稼いだ金を根こそぎ騙し取られる。
安息日に他人を働かせるから、その他人が情報収集できない。
例え、情報収集できたとしても、休みなしで働かせる経営者のために御注進するわけがない。
3、特別扱い
二日前に書いた特別扱いの補足。
神に特別扱いされているのだから、他人に特別扱いされて喜ぶのは騙されて薬害を注射される。
神は人を価が高いと言っている。
神に価値があると思われているのだから、他人から価値があると思われる必要性はない。
神のからの評価よりも他人からの評価を優先するような奴は地獄へ落ちる。
4、同じ質問の対処
同じ質問への対処法を前も書いたけど、ちょっと補足。
悪人が悪人の難癖を撃退するのは不可能である。
自分が悪人だから、悪人からの難癖を撃退できない。
ただ、世の中にはとんでもない悪人が存在して、悪人の癖に他の悪人の悪行を糾弾する奴が存在する、という話だ。
自分が犯罪者の癖に、他人の犯罪者を叩けば、自分の犯罪が赦されると思っている奴が存在する。
犯罪者を叩いても、自分の犯罪は赦されない。
神に立ち帰った善人なら、悪人からの難癖に対して、神の教えを混ぜた答えを返して、「そのままだとおまえは地獄へ落ちる」という文言を加えて何万回でも繰り返して答えるから、難癖を付ける悪人が逃げてしまう。
このとんでもない悪人は、善人が相手でも難癖を付ける。
ただ、善人に対して難癖を付けると、上の答えが返ってくるため、最初から難癖を付けないで逃げたりする。上の答えが返ってくると直ぐ逃げる。
神に立ち帰る者だけが善人であり、神に立ち帰らない者は100%悪人である。
だから、神に立ち帰っていない者が糾弾して来たら、難癖なので、さっきのように「そのままだとお前は地獄へ落ちる」という文言を織り交ぜて答える。
神に立ち帰っていない者は100%悪人なのだから、配慮する必要はないし、配慮してはいけない。
悪人同士で勝手に「配慮し合うルール」を作るけど、こんな世間の自己中なルールに従ってはならない。世を愛してはならないと聖書に書いてある。
5、口出し
口出しにはルールがある。
問題を解決した実績がないのに口出しする奴が存在する。
優しい言葉を掛けるなら実績がなくても良いけど、相手を悪く言うなら問題解決の実績がないと有害無益になる。
自分の事をお客さんか何かと錯覚しているのだろうか。金を払っているわけでもないのにダメ出しする奴。金を払っているなら、ある程度の口出しは良いけど、一円も払っていない癖に口出しする。
ある動画発信者は、交際経験は有るけど何度も破綻するし、結婚にたどり着けないのは、こういう基本的な事が判らないからだ。
問題の解決の実績がない癖に、金儲けのために、判りもしない問題に口出しをして、問題を悪化させる奴だ。
その動画発信者は、自分が交際で失敗したから、他の女に対して逆恨みして難癖を付けているのだろう。
自分がトラブルを発生させた相手と、他の女は、別の人格なのだから、区別できないとロクでもない事をやり出す。
逆恨みで難癖を付けるのだから、そりゃ交際も失敗する。
こういう逆恨みの悪い癖を直すには、無条件で他人を助ける考え方を持った方がいい。聖書にも、無条件で貧困者・未亡人・孤児を助けろと書いているのは、自分の思考を直すのに有効だからだ。
判る事だけ言うのと、言わなければならない事を言う。世の中、他人の生き方に口出しをしてもいいのは、この二つの時だけだ。
俺は、神に警告しなさいと命じられているから警告するし、率直に戒めなさいと命じられているから戒める。
生き方への干渉でなければ、それなりに話をしてもいいのだろう。
その生き方が地獄へ落ちるなら「言わなければならない事」だから口出しする。
同じ質問をされる人に対して「お前も悪人だからだ」と言わなければならないから言う。