一石二鳥で破滅 謝れない臆病 滅びる原因 不死願望は代償行為 逆効果の教育 小出し
1、一石二鳥で破滅
労働力が欲しいだけの移民政策、難民政策なのに、人道を混ぜるから大失敗する。
目的をアレコレ混ぜるのは悪い。
悪いとこどりになってしまう。身動きが取れなくなる。
1つの事柄で2つ以上の目的を含ませると必ず失敗する。
家も住む事だけを考えて投機を考えない方が良い。
家を住居用と資産形成用の二つを盛り込むと、どっちつかずになる。
売り時になっても住居用にしているから売るのをためらって売り損なう。
2、謝れない臆病
気が弱いから謝罪できないのである。
気が強いから謝罪しないのではない。
弱い人間は謝罪できない。
加害者が謝罪しに来たら、神に立ち帰ったかもしれないと判る。
ヘタに謝罪を義務化されると、神に立ち帰ったかどうかが判り辛くなる。
謝罪社会の日本は、神の信者にとって、やり辛い。
謝罪は、神に立ち帰った人が自主的にやるべきものである。
謝罪を強要されて謝罪するようでは、エセ謝罪が横行して神の信者を見分けるのが難しくなる。
非信者は、強要されて渋々エセ謝罪する。もしくは、絶対に謝罪しない。
非信者は、心の底から自主的に謝罪しない。
3、滅びる原因
異常者に国を乗っ取られた欧米が滅びそうになっているだろう。
キレイ事ばかり言って。
他人の人格を踏みにじりたいから、創作物に難癖を付ける。
キレイ事の偽物を一蹴できないのが原因である。
神に立ち帰れば、こういうSDGsとか多様性はエセ物だと判るから、一蹴する。
気候変動は神の天罰だから、環境に配慮した生活をしても無駄である。
神に対して犯した罪を反省して、神に対して謝罪すれば、環境は良くなるし、色々な資源も回復する。
4、不死願望の代償行為
外に出ると仲のいい家族ばかり見るのではない。
仲がいい家族ばかり見えるのではなくて、仲の悪い家族は一緒に外出しないだけ。
全ての家庭が問題を抱えているとか言っている人が居るけど、少し認識がズレている。
本当に幸せなら、ワザワザ他人に見せないから、見えないだけである。
この世の人間の命で永遠に生きたいのかと思うような人間が居る。
死に際がどうたら、老後に子供がどうとか、永遠に生きない時が済まないのだろうか。
そんなに永遠に生きたいなら、死後の命を永遠にしてくれる神に立ち帰れば良い。
なぜ、永遠に生きたがるのかというと、本来なら神に立ち帰って、死後に永遠の命を生きるのが人間のあるべき姿だからだ。
神を捨ててしまって、永遠に生きる方法を失ったから、その代用として、この世の永遠の命に執着する。
神を忘れて、永遠の命の希望を失ったから、別のモノで永遠の命を代用する。
家族とのイザコザに執着するのも、家族を自分の分身と捉えて、自分が永遠に生きているような代償行為のためだ。
家族を利用して自分の生きた証を残したいから、家族とのイザコザに対してストレスが沸いてきて、逆上するのである。
だから、神は家族を捨てろと聖書に書いた。
家を捨てろというのも、家系を自分が永遠に生きているような代償行為にするのを禁止にするためだ。
名を捨てろというのも、名声を自分が永遠に生きているような代償行為にするのを禁止にするためだ。
最初に書いた、他人の家族ばかり見る原因は、家族主義に支配されて、家族を自分の永遠に生きる代償行為にしたい欲があるからだ。
神に生きる神の信者は、他人の家族がどうとか見ない。見ても、精々ほほえましい程度の感情しか抱かない。
畑を捨てろというのも、土地に自分の名前を付けて永遠に生きようとするから、禁止にするためだ。
5、逆効果の教育
感情のコントロールと屈服の違いを理解できない人間が多い。
逆効果の教育になっている。
こういう教育環境だと、社会に対して逆恨みして、喧嘩や戦争ばかり吹っ掛けるようになる。
兄弟で下の子に押し付けると、ぐれて、社会に迷惑を掛けて、社会を利用して復讐するようになる。
親と上の子が苦しんでも、それは自業自得である。
サタン側は、何でこんな間違った教育を蔓延させるのだろうか。
人々を争わせるためだろうか。
6、小出し
フラットアースに気付いても、神の存在に気付くかどうかをテストするために、フラットアースの情報を小出しにしているのだろうか。
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