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家族出汁は再犯する 苦しみは恵み 飢饉の不安を煽るサタン側 神を讃えるのは神の恵み

1、家族と更生
犯罪の更生について。
家族が居るから更生できるとか言っている人間は、家族が居なければ更生できないと言うのだろうか。
家族のいない人間は犯罪する、再犯するとでも決まっているのか。
こういう性根が犯罪をする原因なのだろう。

聖書では家族を捨てろと書いてある。

ルカによる福音書 14:26 (新共同訳)
「もし、だれかがわたしのもとに来るとしても、父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、更に自分の命であろうとも、これを憎まないなら、わたしの弟子ではありえない。

家族をダシに利用すると犯罪するし、更生できなくなるから、神は家族を捨てろと言っているのだろう。

ワガママが許される家庭に生まれた人間は、恵まれていない。
神に従う事で天国へ入れるから、神に従わなければ天国へ入れない。
ワガママし放題の境遇では、神に従って自主的に自分を抑圧するなんてできないからだ。
だから、神は家族を捨てろと言うのだ。
悪い家族は捨てるべきである。
自分にとって良い家族でも、現実は悪い家族なんてのはザラである。
悪い家族は捨てるべきだけど、善い家族はもっと捨てるべきである。
善い家族を家族の役割で縛って、他の人たちのためになる役割を果たせないようにしてはいけない。
善い家族でも、悪い家族でも、悪くない家族でも捨てるべきである。

家族が発達障害や精神障害で、道徳的に悪くなくても捨てるべき。
特定の人間の家族としてさせるのは、時間をドブに捨てる。
他の信者のために時間を使うべきだ。
家族が信者なら、他の信者に世話を任せて、自分は全ての信者のために生きるべきである。
イエス・キリストも母や兄弟がやってきても相手にしないで、信者たちを家族として扱った。

イエスがなお群衆に話しておられるとき、その母と兄弟たちが、話したいことがあって外に立っていた。 
そこで、ある人がイエスに、「御覧なさい。母上と御兄弟たちが、お話ししたいと外に立っておられます」と言った。
しかし、イエスはその人にお答えになった。「わたしの母とはだれか。わたしの兄弟とはだれか。」
そして、弟子たちの方を指して言われた。「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。
だれでも、わたしの天の父の御心を行う人が、わたしの兄弟、姉妹、また母である。」

マタイ福音書 12章46節から50節 新共同訳

イエス・キリストの地上での家族も、信者である。
地上の父のヨセフは「正しい人」という描写があるから、正しい人とは義人の事であり信者の事だ。
母親も信者として最後まで付き従った。
兄弟も信者として人々を指導した。
家族が信者でも、家族として相手しないで、他の信者に任せた。
死ぬ時も、俺の解釈では母親を弟子のサロメに任せた。
神であるイエス・キリストは未来を予知できるため、迫害される使徒に母親を任せるとは考えづらいから、女のサロメに任せたのだろう。

ヨハネによる福音書 19:27 (新共同訳)
それから弟子に言われた。「見なさい。あなたの母です。」そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。

2、苦しみはチャンス
なぜ神が存在するのに苦しみが存在するのか。
それは、この世が反省するための試験場だからだ。
そして、不幸な人間は、他の不幸な人間に話しかけるから、それが神に立ち帰るチャンスを広げる。
恵まれた人間は、他の恵まれた人間に話しかけない。
恵まれた人間は、苦しみを感じないから、この世の真実を探そうとしないから、天国へ入るチャンスが少ない。
恵まれた人間は、天国へ入るチャンスに少ないから、恵まれていない。
不幸な人間に神の教えを知らせて幸せ(天国へ入る)にするために、不幸な境遇に生まれるように神が創造してくれた。
苦しい境遇は、天国へ入るチャンスが多くなる。

あなたの先祖が味わったことのないマナを荒れ野で食べさせてくださった。それは、あなたを苦しめて試し、ついには幸福にするためであった。
あなたは、「自分の力と手の働きで、この富を築いた」などと考えてはならない。
むしろ、あなたの神、主を思い起こしなさい。富を築く力をあなたに与えられたのは主であり、主が先祖に誓われた契約を果たして、今日のようにしてくださったのである。

申命記 8章16節から18節 新共同訳

生まれ付きタダで財産や才能に恵まれると、みんなのために共有する気が失せるから、天国へ入れなくなる。

マタイによる福音書 10:8 (新共同訳)
病人をいやし、死者を生き返らせ、重い皮膚病を患っている人を清くし、悪霊を追い払いなさい。ただで受けたのだから、ただで与えなさい。

神が人を、せっかく恵まれない境遇に創ってくれたのに、感謝しないのは、どうにもならない。

家族に恵まれないのも天国へ入りやすくなるチャンスである。
もし家族に恵まれたら、捨てるのが惜しくなって、神に立ち帰れない。
悪い家族のもとに生まれたのなら、それは神に愛されている証拠である。
善い家族のもとに生まれても、神に立ち帰る余裕が得られるから、神に愛されている。
悪くない家族のもとに生まれても、捨てるのは簡単だから、神に愛されている。

3、情報の洪水
子供の内は何でも吸収するから、学校の義務教育の情報の洪水で、神の教えに触れられないようにする。
ある程度の年を取れば、テレビなどの情報の洪水で洗脳すれば、神の教えに気付かなくなる。

4、飢饉の不安を煽る
物流の人手不足は、個人宅配を禁止にしたら済む問題である。
必需品を優先して、贅沢品の輸送を禁止にしたら済む問題である。
何なら、最終的には配給制にしたら済む問題である。
警察や自衛隊や公務員が超法規的措置で、トラック免許を取らなくても運転できるようにして、物資をトラックで運べば、何の問題にもならない。
不安を煽る奴らは、サタン側の手下だから、信用してはいけない。

そもそも、飢饉や戦争は、背教者に対する神の天罰だから、備蓄しても意味がない。
天の主の存在を人々に気付かせないために、サタン側が自分たちが海上封鎖などで食料不足を起こしたとすり替える。
神に立ち帰れば、災いは降りかからなくなるし、例え戦争になっても信者だけは助かるように世の中はできている。
少数の信者が近くに居たら、戦争・飢饉・災害でも周りの非信者もついでに助かる。
そういう信者に対して加害しない非信者だからこそ、助かるのである。
信者を迫害して死んだり逃げたりすると、信者が居なくなるから、非信者は戦争・飢饉・災害・薬害で大量死する。

信者の割合は、キリスト者を自称している「3人に1人」か「1000人に1人」か「300000人に1人」である。
狭い門から天国へ入ると聖書にあるから、本当の信者が少数派なのは間違いない。

マタイによる福音書 7:13 (新共同訳)
「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。

ルカによる福音書 13:24 (新共同訳)
「狭い戸口から入るように努めなさい。言っておくが、入ろうとしても入れない人が多いのだ。

外国人を助けても10人に1人しか帰ってこない話がルカ福音書にある。
ルカによる福音書 17 | 新共同訳 聖書 | YouVersion (bible.com)
ハンセン病を治して、命を救っても、立ち帰る割合はこれぐらい。

食料不足で戦争になると不安を煽る奴ら。
信者なら、戦争になれば殺さない方を選ぶ。殉教を選ぶ。
どうしても殺さないといけないなら自国と相手国の既得権益者を皆殺しにする方を選ぶから、銃を持たせるわけにはいかないため、後方でボランティアをする事で徴兵は免除される。
ボランティアをするのは、神も人助けを奨励しているから、信者ならボランティアをしろと言われたらする。

食料不足にはならない。
農地は余っている。
必要以上の衣料品や贅沢品を大量生産しているから、水が足りなくなるだけ。
そういう贅沢品を禁止にして配給制にすれば、食料は十分に生産できる。

個人宅配の禁止や配給制になる前に、賃上げや補助金などで政府は色々と手を打つから、物流が滞る事はない。

5、選択の自由の罠
自分軸で生きるのはサタンの罠。
他人軸で生きるのもサタンの罠。
神の軸で生きるのが本来の人生。

愛国主義を選び、ローカル勢力の鉄砲玉になって無駄死にするか。
反国家主義で、グローバル勢力の鉄砲玉になって無駄死にするか。

サタン側は、どちらを選んでも無駄死にする二択を用意する。
どちらかを選べば正しいと思うのは、洗脳されている。
唯一の正しい選択は、神の教えに従う事だ。
サタン側にとって好都合な選択肢をいくつか用意して、人々が自分の意志で自由に進路を選んでいると思い込ませる。
神に従う事だけが正しい道だから、選択の余地はない。
選択の自由があるように見せているのは、全てサタン側の洗脳だと思った方がいい。

6、讃えるのは恵み
神を讃えない人生とは、どんなものになるのだろう。
ロクなモノではない。
俺も神に気付かなかった時代は、ロクでもなかった。
神を讃えるのが人の幸せに成るから、神は神を讃えるように恵みを与えているのである。
神を讃えるのではなく、神と協力するような関係だと、絶対に人の方がストレスと負担で潰れるから無理がある。
だから、神は人間が耐えられるように、神を讃えなさいと言って守ってくれるのである。

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