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自己紹介
年の差8つの2児の母。
ADHDの兄とASDグレーの弟
夫も変わり者……と日々奮闘中。
私にだけダンッ!と足ダンする♂ウサギも大事な一員。
わたしのこと
生きにくい。
これはずっと小さい頃から抱えてきた思い。
なんで損な役回りが多いんだろう?
色んな人の声が聞こえてきてしまって
寄り添ううちに、頑張るうちに振り回されて疲れてしまう。
自分軸で考えることが苦手なのかもしれない。
席が空いても順番だからと我先に行けない。
一旦周りを見て、なんならすぐに譲ってしまう。
誰によく思われたいんだろうと自分でも思うけれど体は勝手に動いてしまう。
まあいい子ぶりっ子だって事だ。
変に冷静で冷めた子どもだった私は大人からみたらきっとかわいくない子だったと思う。
太陽のような天真爛漫な妹と違って
月のような自分。
戦隊ものだったら、赤には絶対なれないタイプ。
色のない無色の自分を常に感じながら
時に闘い、ゆらゆらと今を生きています。
発達障害
この言葉を知ったのは10年くらい前だと思う。
手はかかるがとてもかわいかった幼児期の長男。
小学校に入り色々おかしいなーってことが出てきた。
今ほど情報もなく、深刻に相談するほど何か遅れがあるわけでもない。
男の子だから、幼いだけかな?そんな思いで過ごした低学年。
それにしてもおかしくない?と先生に相談しはじめた中学年。
これはまずいぞと確信に変わった高学年。
この頃になると情報も手に入りやすくなり
子ども発達支援センターなるものに繋がることもできた。
そして痛感する。
本人の望まない支援は届かない
ということ。
お兄は自分が障がい者だとラベリングされることがとても嫌だった。
福祉や支援、薬はいらないと。
そして迎えた思春期。闘いの開幕。
お兄とは異なる次元で次男がひたすら扇風機をならべていた。
ハンディ扇風機からサーキュレーターまで家にある様々な種類の扇風機を一直線に並べる。
外出先では換気扇探しだ。
幼児期はとにかく羽が回るものが好きだった。
ドライブでは同じ曲をエンドレス再生。
うんざりするほど聴いたミッキーマウスマーチ。
日本語だったのに歌詞全然覚えていないの。
愛情持って育てても、時にこじれて距離おいて
投げ出したい日々をだましだまし暮らす日々。
せっかく子どもに親にしてもらったのだから
何かを残せたらいいなと思っています。