問題の根本には
先日、渋谷で起きた母娘への傷害事件。
私もこれを読んで下さっている皆さん同様、報道ベースでの情報しかないのですが、やはり報道内容に対する様々な専門家の話などを聴いていて違和感を感じるため、ここで少しお話したいと思います。
まず事件を起こした少女の罪は罪として、しっかりと償ってもらいたいと考えています。
少女が犯行に至った理由など、報道では「自分の母と弟を殺すための予行演習」と言われています。
少女の母親は「幼い頃から感情を表に出さなかった」と自分の娘について話しており「弟との扱いに差があったかも知れない」とも話しているようです。
様々な報道の中で「家庭に問題があったのでは」と言われています。
これはその通りだと思いますが、一方的に少女だけにその問題を押し付けているような印象を受けるような内容のモノもあります。
私が注目したのは上記の「幼い頃から感情を表に出さなかった」という点と、少女が「母親が殺されるのを見せるのはかわいそうなので、弟も殺そうと思った」と話している点です。
確かに認知が歪んではいるのですが、弟に対しては一定の優しさや思いやりが、この言葉からは感じられます。
そして「幼い頃から感情を表に出さなかった」のは、感情を「出せない環境」だったのではないか、と考えました。
感情を出してもそれを否定されたり無視されたりすることが続けば、その子供は自分の感情を表に出さなくなります。
喜怒哀楽という言葉通り、そこには悲しさや寂しさもあれば、喜びや楽しみという感情もあります。
喜びや楽しみ、自分の夢や希望を表してもそれを否定されたり無視されたら、そこで感じるのは「悲しさ」や「寂しさ」です。
自分にとって楽しいことを親に伝えてもそれを否定されたり無視され続けたとしたら、その「楽しいこと」は「寂しいこと」に直結します。
人は寂しさや悲しさを感じたくはないですから、結果として楽しいことや嬉しいことも感じないようにしていきます。
それが「感情を表に出せない」環境です。
感情を表に出さなければ周りからは「何を考えているのか分からない」とみられてしまい、それが人間関係の構築に影響してしまいます。
少女は不登校だったとの情報もありましたが恐らく、このような状況も関係していたのでは、と考えられます。
重ねて言いますが、この少女は自分が犯した罪を罪としてしっかりと認識し、その罪を償わなければなりません。
ですが同時に、少女の認知の歪みをカウンセリング等によって正しながら、これからの人生をしっかりと生きていけるようサポートすることも必要であることを、私は伝えたいと思います。
そしてこのような事件を起こすような子供が育ってしまう「機能不全家庭」が世の中にまだまだあることを知り、その世代間連鎖を断ち切るための努力をすべきと考えます。