「死ぬ」まで「生きて」みる
ここ最近、朝晩は少し空気も涼しくなってきて過ごしやすくなってきました。
ですがまだ日中は30度を超える暑さで、その気温差から体調を崩す方も増えているようです。
季節の変わり目、特に夏から秋は誰もが精神的に不安定になりやすく、うつを訴える方も増えて来ます。
先日カウンセリングに来られた方も「死にたいという想いが強くて…」と開口一番、話されました。
「いなくなりたい」「消えたい」とおっしゃる方もいますし、その表現や感じ方は様々ですが、私が昔うつで自殺ばかり考えていた時、ふとしたきっかけから回復してきたところで思ったことは「死ぬまで生きてみるか」でした。
様々な格差が現実的に存在する世の中で、この世に生きている全ての人たちに平等に与えられているモノ、それが「死」と「時間」です。
人がこのように生を受けた瞬間から、全ての人は「死」に向かって歩み続けます。
同時にすべての人に「1日24時間」という時間の連続が与えられます。
人は誰もが必ず、いずれは死にます。
それが病気だったり事故だったり、或いは老衰という形で天寿を全うされたり、それがいつ自分の身に訪れるかは分かりませんが、必ず死にます。
虐待によって親に殺される子供もいれば、その逆に親を殺してしまう子供もいます。
私たちは日々を生きる中で「きっと明日も今日と同じ」と思っていることが多いでしょうし、そんなことなど思わずに生きている方がほとんどだと思います。
ですが今日、事故に遭って死んでしまうかも知れませんし、病気が見つかって余命宣告されるかも知れませんし、通り魔に殺されてしまうかも知れません。
けど多くの人はそんなことも想像せず、もしくは「自分には無関係」と思いながら生きていると思いますけど、ニュースでそのような事件を観るたびに、その被害者もきっとそんな風に思っていたんだろうと思えば、明日、私がそうなってもおかしくない世の中に住んでいるわけです。
そう考えた時、わざわざ自ら自分の命を無くすことをしなくても、どんな形であれいずれはそうなるのだったら、とりあえずその日が来るまで生きてみるか、と思えるようになりました。
それが明日なのか、一年後なのか、何十年後なのかは分からない。
けど誰も「私は明日も生きている」と言い切れない以上、明日死んでもいいような今日を過ごせたら良いんじゃないか。
もちろんアタマでそうは思っても、それが無意識として定着するまでには時間が掛かりました。
ですがそんな風に考えるようになってみると、日々が少しだけ楽になりましたし、無理もしなくなりました。
どうせ生きるのなら、苦しく生きるより楽しく生きよう。
どんな形であれ、その最期を迎える時に笑って逝けるよう日々を過ごしてみよう。
今「死にたい」と思っている方にいきなりこれを言ってもそれは理解出来ないと思いますし、自分には無理と思われてしまうかも知れません。
けどその道を歩いてきた私は今、確かにそんな風に思えているのも事実です。
日々が楽しいばかりではありません。
苦しい時もあるし、今もつらい時があります。
けど、死ぬほどではない。
いつか必ず死ぬんだから、その時までは「しょうがないから」生きてみるか。
今の私はそんな気分です。