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『紀元前九十二年、ヒダカの海を渡る』[149]ナオトが語る鋼作りのあらまし
第6章 北の鉄窯を巡る旅
第8節 二手に分かれる
[149] ■1話 遠征26日目 ナオトが語る鋼作りのあらまし
翌朝、日が昇る少し前に起きた。いつもと違う朝だった。どことなく、周りの空気が張り詰めている。ナオトは燠をいじっていた。バトゥが糧食を配りはじめる。その動きをみなが所在なげに眺めていた。
トゥバで鋼の作り方を見た。これは匈奴という国の行方を左右するほどの大事だった。一行が知ったという事実は、おそらく丁零の族長にも、また北のハカスのキルギス人にもすでに伝わっている。これらのテュルク族が我らをこのまま返すだろうかと、さすがのメナヒムも少し不安に思っていた。
昨晩、メナヒムは周囲に散って休んでいるみなを火の近くに呼び寄せ、真剣な面持ちでその話をした。
「我らは、鋼作りの秘密を知った。北の湖の丁零にせよ、トゥバにせよ、あるいは北のハカスに控えるキルギス人やサカ人にせよ、我らをこのまま単于の王庭まで帰すとは思えない。二度三度と襲ってきてもおかしくはない。
幸い、わしとバトゥはこの地をよく知っている。なにもかもがそのままに残っている。いいか、このようにするのだ」
ナオトは、すべて理解できるわけではないにせよ、黙ってメナヒムの話に耳を傾けていた。
メナヒムは、まず、ナオトに鋼作りのあらましを語らせた。
――そうか、メナヒムは吾れの様子をずっと見ていたのだ。
そう、強く感じた。
このようなことになろうとは考えてもいなかったナオトは、促されて少し困惑したが、やがて、拙い匈奴言葉をエレグゼンに補ってもらいながら、鋼はこうやって作ると己の考えを述べた。
砂鉄や岩を溶かす。そのために、炎を上げて熱く燃えるマツ炭を使う。何台も並べたフイゴで鉄窯の真ん中まで風を送って砂鉄が溶けてしまうほどに熱く燃やす。焼き上がった後、炉の中がどういう姿になるのかは我らは見ていない。
「しかし、そうやってできた黒い塊をおそらく叩いて欠いたと思われる欠片は見せてもらいました。一つ目の鉄窯でここまでをやるのに、三日三晩掛かると族長が言っていました」
みながじっと聞き入っているのに力を得て、トゥバの二つ目の小屋にあった炉に移ってからのことも、こういうことだったのではと思った通りを話した。
「砂鉄から作った鉄の塊をもう一度、黄色に輝くまで熱し、それを叩く。こうするのは、鉄窯で作った鉄から余分なものを弾き出して鋼にするためではないかと思います。塊は砕けて、残る鋼はわずかでした。
それを水に浸ける。せっかく熱した鉄をなぜわざわざ冷ますのかはわかりません。我らは水に浸けるところは見ていません。しかし、間違いなく水を使うと思います。やはり、鋼にするのに余分なものを鉄から除くためでしょう。こうして、素になるのは同じ砂鉄でも、作り方によって鉄にも鋼にもなるのだと思います」
ナオトは、大事だと思うことだけを選んでゆっくりと話した。最後に、「砂鉄を見つけ、木炭にする木を伐り出しやすいように森の近くに鉄窯を設けることが肝心だと思う」と付け加えた。
次に、やはりメナヒムの指示によって、この鋼作りのあらましを残りの四人が復唱した。これでいいかとメナヒムがいちいち目で問う。ナオトはそれでいいと頷き返した。
その上でナオトは、いまのところわかっていないことは何かを告げた。
砂鉄をどこで採るか選ばなくてもいいのか。砂鉄を焼いた後の鉄はどれでも、熱して叩けば鋼になるのか。叩いてできた鋼を使い道によって替えるということはないのか。それに、もし剣の大きさに鋼の棒を作ることができたとして、それをどうやって磨き、研いで、剣にまで仕上げるのか。こうしたことはまだわからないと言った。
研ぐというソグド語をエレグゼンに訳してもらって、その研ぎにはたぶん石か、岩か、もしかすると何かの金属を使うと思うが、どの石を選び、どうやればいいかはわからないとまとめた。
エレグゼンたちは黙って聞いていた。
――そうだったのか。あそこの炉の構えや鎚で叩いていたのには、そういう意味があったのか……。
それが、みなの正直な感想だった。
戦さのたびに剣を研ぐ。槍の穂先も、鏃も研ぐ。だから我らは、研ぎについてはそれなりに知っている。しかし、誰もそれを口にはしなかった。
――研ぎ方は部族によって違う。人それぞれということもある。
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