見出し画像

超訳聖書〜生き方を変えるとき〜

今日のお気に入りの言葉です^ ^

人生では生きる方向を変えなかればならないというときがある。自分の生きていきた道間違っていたと気づくような大きな過ちを犯したときがそのときだ。そんなとき、それを悔やんで悲しむだけでは意味がない。大事なのは、ただ悲しむのではなく、変わることだ。例えば、ギャンブルでお金を使い果たした人がどんなに後悔しても、今度は女にはまってお金を使い果たしたとしたら、全く意味がない。痛い目を見たとき、自分の愚かさをとことん自覚し、深い嘆きをもって、「これではダメだ」と気づいた者だけが、本気で生き方の方向を変えようとする。その人にとっては過ちはなくてはならない尊い体験となり、それを通らなければ、つけることはできなかったであろうよい実をならせる。

【古代ユダヤ賢人の言葉 超訳聖書 石井希尚編訳】
 過ちを悲しんだり悔やんだりするだけでなく、その原因を突き詰め反省することで、生きる方向を変えればより良い方向へ成長していけるだろうとういような言葉かと思いますが、このような生き方の方向を大きく変えるほどの過ちが生じた場合の話だけではなく、日々の小さな過ちについても同じことが言えるわけですから日々心がけたいことです。

最後まで読んでいただきありがとうございました^ ^

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?