知床イライラ旅行記、逢坂大河なら許せた。否、逢坂大河だから全て許した
僕の隣にはオジサンは僕の隣に座っている。
身長は175cmほどで中肉中背、年齢は40後半、短髪でやや額は広がっている。
2日は剃っていないであろうヒゲに何年間着ているのかわからない衣服を身にまとっている。全体的に不潔な印象こそないが、清潔なイメージはない。
バックには常に携帯用の救急セット、熊スプレー、護身用(対動物)刃渡り数センチのナイフが入っており、腰には登山用のスリングとカラビナがいくつかついており歩くたびにジャラジャラと鳴る。
もちろん、仕事でこれらを使う予定はない。
pc作業に慣れないらしく時間が経つほどに猫背と眉間のしわが深くなっている。いつもながらエクセルに苦戦している。
30分以上離席していたのだが、隣の席の画面は変わっていない。増えていたのは”エクセル初心者入門”という初心者と入門とほぼ同じ意味の単語が整理されずに表題として並べられている本が放り出された形跡と下品な舌打ちだ。
「あ、それ$付けると、それかF4押すと固定されますよ」
どうしたか聞くとその一言で問題は解決した。
そんな山好きでエクセルの苦手なオジサンと知床へ行った事があった。
そんな話をしたい
※以降ちょいちょいオジサンをくさすようなことを言うのだが、基本的には仲良く過ごしている。
2月某日
知床の流氷ガイドをやっている知り合い(以後Oさん)がおり、以前より誘われていた。
北海道へきて7-8年経つが、冬の知床には行った事が無く、ちょうどよい機会だと思い、三連休を交えた2/23∼2/26にかけて向かうことにした。
ただ、片道8時間かかる道のりを一人で行くには危険が多い為、隣のオジサンを誘った、彼は登山が好きで、それが転じてアウトドアガイドに興味がある事を知っており、食いつくと思ったからだ。
案の定快諾してもらい、オジサンとの3泊4日の知床旅行が決まった。
2月23日 (旅行1日目)
1日目は移動日にあたる
ルートがこちら
北海道を横断する形になり、高速道路を使っても8時間、道中寄りたい場所がいくつかあったので下道を選択し到着まで12時間ほど要する計算だ。
夜の知らない冬道を走ることは極力避けたかったので、出発は早朝になる。
午前4時、荷物を詰め込み出発する。
最初は僕の運転だ。
前日は21時頃に就寝し、備えようとしていたが、夜中の1時頃に起きてしまった。
以降ずっと起きていたので、明らかな寝不足である。
どうやらオジサンも同じような睡眠状況であるらしく、あまり無理せず、2~3時間で交代しながら行くことにした。
複数人での車移動はそれができるから良い
たわいない会話を交わしながら車を走らせるが、出来れば寝ていて欲しかった。起きて話されるとラジオが聞けなくなる。
出発から約2時間、オジサンはまだ寝ていなかった。
積極的に話すならまだいい、リフレッシュになるからだ、面白い話や語りがいのある議論提供なんかもいい。
オジサンはただ起きているだけだった。
そのくせラジオに集中しようとすると
「こういう芸人?のラジオ好きなんですか?」
好きだから聞こうとしてるんだろ!!
若干のイラつきが態度にでて、そっけなくやり過ごしながら、「眠くないんですか?」「寝ないんですか?」と促す。
純粋に早く寝て欲しかった。でないと恐れていたことが起きる…
しかし、オジサンにはそれが伝わっている様子は無かった
出発から3時間、オジサンはまだ起きていた。話すでもなく、靴を脱ぎダッシュボードに足をかけて
僕も疲れがでて、頭の奥から睡魔がやってきていることがわかった。運転を代わってもらおうと思った瞬間
「じゃ、眠くなってきたんで寝ますね」
リクライニングを全開で倒し、足をダッシュボードの上に置き寝始めた
『お前ッッッ!!マジかコイツ!!!!!!!!』
お互いに寝不足であるならば、同じタイミングで眠くなるに決まっている。オジサンはそのことが全くわかっていなかった。
あと足!!!臭い!
仕方ないため、車を走らせ続ける。休憩することも可能であったが、この調子だと道東の険しい冬道の運転は僕である。
睡魔との戦いと慣れない冬道との戦い、ぼくは慣れている睡魔と戦うことにし、時にはガムをほおばり、時には外気を入れ込み車を走らせ続けた。
ちなみにオジサンは助手席にいるにもかからわず、僕のガムをバクバク食べていた。無許可で。
気が利かず足の臭い20ほど年の離れたオジサンが大いびきをかいて寝ている姿に僕は耐えきれなかった。
今回の旅行ではこんなイラつきが大小合わせて100個くらいある。
いちいち書いていては旅行記にならないのでイライラもぶり返すし
以降、オジサンを逢坂大河だという事にする
出発から4時間、ほどなくして、助手席で寝ていた大河が目を覚ましたため、運転を代わってもらった。
大河がコンビニに寄りたいと言ったため、そこで交代したのだが、大河は自分用のホットコーヒーを一つだけ持って出てきた。
父親からの仕送りが止められ大変なのだろう。
仮にオジサンだったらまた1つムカついていた。
帯広市
出発から7時間、帯広市に到着し、昼食を済ませた。
Oさんには旅行の計画から相談させてもらっていたため、この辺で手土産を買って行きたかったのだが、そのことを伝えていたはずなのに、ハンドルを握っている大河はそそくさと帯広を出てしまった。
まぁ、またどこかで買えればいい。
帯広をでてすぐ”計3時間以上運転している”との理由で運転を代わった。大河はまた1つだけコーヒーを買っていた。
鶴居村
出発から約10時間、帯広の次は鶴居村へ向かった
Oさんおススメスポットの1つ
ここでは冬の時期タンチョウ(鶴)が見れる
自然公園には数十匹のタンチョウが冬を越していた。
日本人外国人問わず、望遠のカメラを構えた観光客がとても多かったが、その公園にはタンチョウの鳴き声のみが響いていた。
外国人観光客の治安の悪さが粒だてられているが、ここにはなかった。モラルが醸成されていた。
斜里町
18時過ぎに斜里町の宿に着いた。
ゲストハウスのチェックインを済ませ、僕は銭湯へ向かった。
大河は眠いとの理由で宿に残っていた。道中それなりに寝ていたのだが年齢的なものだろう…
明日も朝が早い、僕らは早々に床に就いた
2月24日(旅行2日目)
流氷クルーズ
午前3時、外も暗い中目を覚ました。
本日の目的は5時と8時からの流氷クルーズだ、どちらもガイドの方に予約をしてもらった。特に5時の便はおススメらしい。
しかし、宿から1時間半ほどの場所なのでこの時間に起きざるを得なかった。
「おーい、大河ぁーー」
二段ベッドの下にはぶかぶかのパジャマに包まれた大河がシーツの海に沈んでいた。
洗濯物のドレープカーテンに包まれ、無精ヒゲの伸びたオジサンの姿はなく、人形のように寝ている大河は物語の世界のように作り物めいた光景だった。
午前5時少し前、予定より少し遅れつつも目的地に着いた。クルーズの出向には問題がなく助かった。
この理由が前日最後に車を使った大河がガソリンを入れ忘れニュートラルを使っての走行を余儀なくされた事、ナビゲーションを一切しなかった事なのだが、可愛いので許さざるを得ない。
午前5時、暗い中クルーズ船は出発する。
外気温は-20℃を指している上に船は高速で移動している。体感温度は-40℃ほどだっただろう、たぶん。スキーウエアに手袋、マフラーにニット帽と最大限の防寒装備を着ているが、甲板に出ると露出している顔の一部が痛い。
突き刺さるような寒さとはよく言ったものだ。
しばらく船を走らせるとだんだんと夜が明けてきて幻想的な風景が姿を現し始める。
スポットに着くと国後島の山々から朝日が覗き始める。
船のスタッフが魚を撒くとオオワシやオジロワシが続々と集まって来た。写真家たちも多く乗る船であり、バズーカのような望遠レンズを構えた猛者たちが凛々しいワシの姿をレンズに収めんと待ち構えていた。
僕も負けじと意気揚々と一眼を握っていたのだが、寒さのあまりバッテリーが落ち意気消沈する。
大河はというと、すっかり飽きてしまったようで船室で寝ていた。
午前7時過ぎ、早朝のクルーズが終わり次の8時の便に備える。
寒さからか異常に腹が減っており、セイコーマートで朝食を済ませる。ついでに車も満杯にした。
8時からのクルーズには大河は乗らなかった。
飽きたのか、金を払いたくなかったのか、僕には知る由もない。
Oさんが特別枠で席を取っていてくれたことなど、大河に伝わる由もないのだろう。
この時間になるとすっかり朝だ。気温も上がり、先ほどのクルーズとは過ごしやすさが段違いだった。こんどは家族連れが多く「お母さん寒い―」「寒いねー、中入ってよっかー」なんてのんきな声を傍目に、甲板を闊歩する。こちとら-40℃(自分調べ)を体感している、面構えが違うのだ。
早朝は夜と朝のコントラストが美しかったが、今回は青のグラデーションがキレイだ
ほとんど同じ場所に定着したが、景色が全然違った。
なにせ流氷は刻一刻と変わっていくらしい。
天気が良くて良かった、ホントに。
クルーズが終わると道の駅で時間を潰していた大河を拾い、今度は野付半島へ向かう。ここも流氷で有名な場所である。
大河に道の駅で何か面白いものがあったか聞くと、寝ていたからわかない、と答えた。お前…、俺がガソリンの心配しながら走っていた道中寝てただろ…。
野付半島
野付半島とはここである
流氷クルーズの羅臼から車で1時間ほどで着く
流氷の上を歩いて離れ小島へ行けると聞き、向かったのだが、今年は氷の層が薄いらしく一般の方は入れなかった。
流氷ウォークとしてガイドを付けると行けるそうだ(癒着か?)。
一般人の代わりに鹿が大量に流氷の上に乗っていた。
ひび割れた氷の上もけっこう器用に渡るらしい、さすが偶蹄目
三角のパックに入った牛乳を買って飲んだ。
各段美味くもなく、不味くもない、味の違いがあるとするといつもと違う容器だからなのだろう、以前読んだ”おいしさの錯覚”という本でそんなことが書いてあった。
北海道はどこでも牛乳が名産で、どこでも美味いのだ
14時頃に野付半島を後にし、宿へ帰る。
連日の早起きによる睡眠不足を解消したかった、明日はスノーシューでの山登りがあるため、体調を万全にしたい。
帰りの運転は大河に頼んだ。
夕食はこの辺名物(厳密に言うと釧路)スパカツを食べた、根室のエスカロップ(バシャバシャのガーリックバターライスにとんカツとデミソースをかけたモノ)しかり、どうも高カロリーな食べ物が名物となっている。寒いからだろうか?
はたまた、「ちんけな和食などいらん!」とでも言いたいのだろうか?北方領土については日本を主張しているのに
高校から舌が変わっていない僕はたいへん美味しくいただいた。
2月25日(旅行3日目)
今日はウトロ側へ向かう。昨日の羅臼とは峠を挟んで反対側に位置し、宿からは20~30分で行ける。
北海道民にとって車で20~30分など、駅から歩いて5分とそう変わらない。近所だ
知床の森ツアー
Oさんからツアーを紹介してもらった。
スノーシューで午前中は山の中へ行き、午後は海岸を見る。
盛りだくさんだ
午前9時に集合し、山へ向かう。
スノーシューとは短いスキーというか、かんじきの現代版みたいなものだ。これを装着すると圧力が分散されるため、雪深い道でも足を取られず進むことが出来る。
湖を目指して進む道中、クマゲラが木をほじくったあとなどがあり、その生き物の生体などを簡単に説明してもらいながら進む。
このような枝の集まりを見つけ気軽に
「これはなんかの巣ですか?」 と聞くと
「それ結構聞かれるんですよねー、巣とかじゃなくて、てんぐ巣病っていう木の病気なんですよねー」
頻度の高いうえ、間違っている質問だった。
「へぇー、そうなんですねー」
と答えた後は黙るしかない。
僕らはもくもくと目的地へ向かった
1時間ほど歩くと湖へ着いた。
ガイドの方が湖だと言うが、言われなければ湖に見えない。
いや、言われてもわからない。
原生林の中を進むのは気持ちが良かった。
ここも良いスポットらしい
知床の山脈がきれいに見える。
というか、ここ2日間天気に恵まれすぎている。
小高い丘で昼食を済ませ、午後は海岸へ向かう。
この時間ごろになると観光客も増え、あちこちにパーティーがいた。
海岸沿いの景色、連なる崖が遠くまでよく見える。
青色が良い、ずっと良い
なんか有名な滝らしい、すっかり凍り付き氷の壁になっている。
大河は冬山登山をガンガン行く人なので、この壁を登るにはどのルートがいいか、などを考えていた。
人生において転落も壁を這い上がることもしたくない僕には無縁の話だ。
あと、鹿がめっちゃいた、これは5メートルもない場所にから撮ったのだが警戒する素振りすら見せず、黙々と地面の草を食べていた。卑しい奴らだ。
アホウドリの由来は警戒心が無く簡単に捕まえられることから、と聞くが、こいつらはアホウジカだ。
大河(狩猟免許所有者)は鹿を食べる事を考えていた。
【実るほど頭を垂れる稲穂かな】というが、こいつらは実りたいがために頭を下げている。
人間と同じだ
夕日もきれいだった
昨日は流氷から現れる朝日を見て、今日は流氷に沈む夕日を見た。
そんなこんなで17時ごろにツアーは終了した。
ガイドがいなければいけない場所も多く、とても良かった。
Oさんに紹介のお礼も兼ねて連絡したところ、19時ごろに仕事が終わるため、お茶しないかとお誘いをいただき、仕事終わりの時間に集合することになった。
それまでに食事を済ませておきたく、急いで宿のある斜里町へ向かう。斜里へ向かいたい理由のもう1つとして、いまだに手土産を変えていなかった。
スーパーへ着くとホワイトデーフェアなるものがやっており、今日のツアーガイドの分も含め、大量にお菓子を買った。
質が伴わない場合は数で勝負するしかないのだ。
次いで、すぐに中華屋へ向かう。
ザッと味噌ラーメンを平らげ、僕たちは再びウトロへ向かった
大河は「ここ前来た事ありますね」などと言っていたが、
そんな事は知らん!なら自分で調べろ!
と、憤慨しかけたが、カウンターが高かったのか、背筋をピンと伸ばし脇を広げ、いかにも食べずらそうに辛みそラーメンをすすっている姿が可愛かったので許さざるを得なかった。
『ごめんな、今後から座敷にしよう』
ウトロへ戻ると晩酌が始まっていた。
Oさん並びにガイドスタッフにあいさつを済ませ、混ぜてもらった。写真家の方や中国からの留学生もいた気がする。
ウトロという町のことや、ガイドの楽しさ大変さ、一日一日で姿の変わる流氷のおもしろさなんかを話した。
明日、急遽流氷ウォークへ参加させていただける事になり、集合時間や準備品の確認をし、その夜を後にした。
・流氷ウォークに参加させてい貰える流れになった際、だい一声で値段を聞いた事(高かったら行かないという態度)
・同じことを繰り返すのは飽きちゃってできない、だからアウトドアガイドは出来ないという旨の発言をしていたこと
・手土産代を半分請求したら断った事
3つ目はまだいいとして、143cmの美少女でなければ大層腹が立っていただろう。
2月26日(旅行4日目)
流氷ウォークへ参加するため、7時前に宿を出る。
集合時間通りに到着し、バスで流氷スポットへ向かった。
耐寒用のウエットスーツを着て流氷の上を歩く、僕らはOさんのグループに割り当てられ、Oさんの流氷の話を聞きながら歩く。
申し訳ないのだが、昨日の飲み会で聞いた話が多かった。
「そうなんですね~」「へぇ~」「ハハハハハ!」
場を盛り上げる為にやや大きめのリアクションを取る。
いかんせん一面が氷だ、場を凍らせるわけにはいかなかった。
カップルが2組と60歳くらいのおじさん1人+20代ほどの若い男女4
人がグループのメンバーだった。
身内とばかり話しているのも、もったいなく思い、誰かしらにどこから来たのか、どれくらい知床に滞在するのかなどを聞きたかった。
おじさん率いる若者集団を家族、もしくは大学のゼミだと予想した。
僕は意を決して、その率いているおじさんに
「卒業旅行とかですかー?」と聞いた。
家族でもゼミでも対応できるであろう、良い質問だと思った。
「ハハ、周りからはそう見えるのかー」
おじさんはそう答えた切り、足早に去っていた。
おそらく家族だったのではないだろうか?1/2を外した
僕の心は凍てついた。
氷の間に海が露出している穴が所々があり、Oさんの補助により入ることが出来た。
僕も穴に入り北極のアザラシの気分を味わった。
気分だけでなく、アザラシになりたかった。
アザラシであれば多摩川へ行くだけでちやほやされるのに。
流氷ウォークが終わり、アザラシから凍てついた人間になった僕はOさんともどもに挨拶をし、ウトロを後にする。手土産を喜んでくれていて良かった。
でも、それ、町のイオンで買ったやつなんだ…
帰り道はほとんど寄り道はせず、高速道路で一気に走り切った。
21時ごろ家に着き長い長い知床旅行が終わった。
後日譚
帰りの道中、割り勘で職場への土産を買った。
僕は朝外勤することが多いので、オジサンに配る事を頼んだのだが、2か月後くらいにそのクッキーを僕に渡してきた。
渡すのを忘れ、気付いたら今になっていたらしい。
大半は自分で食べ、残り2枚ほどを僕に渡したとの事。
「山岡屋、行きますか!」
プレミアム塩とんこつ+ほうれん草トッピングの口を作り、就業時間を待った。
なんとも楽しい旅行であった
夏の知床も行きたい、シャチ見たい
紹介
25日にお世話になったツアーガイド
流氷クルーズ、流氷ウォークに参加させてもらったガイド
こちらは今回の写真たち
未編集含む
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?