良いとしの取り方とは?
最近、全盛期を見たことがあるアイドルとバンドを観る機会があった。
そのアイドルは同じ年齢の同性に比べて若々しく、美容や健康に気を遣い、頑張っていると前から思っていた。後輩のアイドルと一緒YouTubeに出ていた。
観ているとだんだん辛くなってきた。後輩は今とこれから数年が最も輝いている時。その人も同じことを感じているのだろう。「自分の子どもでもあり得る年齢差だ」と言いながらも、若さへの嫉妬·過去の栄光への執着が全面に出ていて痛々しかった。
時々、自分の年齢を元に自虐的な事を言ったりして後輩は困っているように見えた。私も自虐は止めよう。反面教師になってくれてありがとう!と心から思った。
そして、演奏と歌がCDと変わらないのがウリだったバンド。全盛期に妹と一緒にライブに行ったこともあった。
何の偶然か、妹と一緒に配信を観た。
彼等がステージに出てきた。「うわぁ、みんな歳をとったね~!まぁ、私達もだけどね!」等と言いながら演奏を待った。
演奏が始まった。「会場の音響が悪いのかな?」と二人でテレビの音を大きくしたり小さくしたりして歌の始まりを待った。
歌が始まった。「マイクの調整ができていないのかな?」と言いながら、やはりテレビの音量を調節した。当たり前だか特に変わらない。高音部はマイクを観客に向けて歌わなかった。
彼等は年齢を重ね、演奏に冴えがなくなり、声も出なくなっていたのだ。そもそも、音の調整をせずに観客の前に出るはずはない。
妹が「もう、観てられない!全盛期のCDを聞かないとイメージが崩れる!」と言い出した。他のバンドはどうかな?と、他のバンドも観た。
そのバンドは全体的に曲調が緩やかなバンド。そのせいか演奏は昔のままだったが、ボーカルの声は出ていなかった。そして、高音部はやはり観客にマイクを向けていた。
どちらのライブも観客は大いに盛り上がり、楽しそうにしていた。
「昔のバンドは全盛期のCDに限るね!」と妹は言っていた。私は「そうだね。」とは言えなかった。
言えない理由をしばらくの間考えていた。なぜ、アイドルは観ていられなかったのにバンドはそうは思わなかったのか。
恐らく、バントのメンバーは全員、動かなくなった指·出なくなった声等、自分の老いを受け入れてステージに立っているように私には見えたのではないか。
昔の曲をやると全盛期みたいに演奏出来ないし、歌えない。でも、ここまでは出きるんだ!その姿を観てくれ!と。
そして、ライブに来ているお客さんも「昔とは違うけど、それも良いよね!私達も年を取ったしね!」とお互いの現在地を確認しあっているような気がした。
何もかも昔のようには出来ないけど、出来ない所をひとに任せる。ここまではできるから、手伝ってね!許してね!と。
良いとしの取り方は過去の栄光にしがみつく事ではなく、今の自分を受け入れ、人に任せられるように人を信じる心を持つことなのではないかな?と思った。
心掛けていきたい。