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神田川の秘密22−2 地下水道ができたら洪水は少なくなったのか

二十二の2 環七地下水道で洪水は解消されたのか

 環七地下水道の北の端は妙正寺川と環七が交差する中野区野方。これが甲州街道の手前、杉並区方南1丁目まで4、5キロメートル続く。将来は環七通りをさらに南下させて東京湾に放流する構想もあるという。都は神田川を目白通りの地下に埋設された白子川地下調節池ともつなごとしていて、工事は2026年完成を目指し、すでに2016年から始まっている。白子川は練馬区大泉、大泉井頭公園イカシラを水源に、埼玉県和光市下新倉で新河岸川に合流する。合流後の新河岸川は隅田川に流れ出る。この川ともつなげてしまおうという工事が着々進んでいる。どこをどう流れている川が、どこのどの川なのか。もう、メチャクチャだ。

環七の地下に巨大な鉄管が据えられ
神田川・善福寺川・妙正寺川の水が流れている
大工事だ

 神田川、善福寺川のあちらこちらで行われている護岸工事、調節池工事。広大なスケールで展開されている地下水道と調節池。トンネル工事。これらの土木工事は東京都でもトップクラスの大型案件になっているはずだ。トンネルは内径が12、5メートル、外径が13、2(旧工事は外径13、7)メートル。しかも環七通り地下を大深度(地下40m)で穿つ工事だ。受注できる企業は限られるだろう。この工事の結果、洪水は食い止められているのだろうか?

 東京都建設局は「激特事業による護岸整備と環状七号線地下調節池の洪水貯留効果により、浸水被害は激減しました」と広報している。平成5年8月27日の台風11号と平成16年10月9日の台風22号との比較対照表まで載せ、効果が的面に現れていると自賛している(集中豪雨の数値は筆者)。これで激甚災害と呼ばれるような被害から住民は解放されたのだろうか。

神田川洪水被害
    台風11号(平成5年) 台風22号(平成16年) 集中豪雨(平成17年) 降水量  288mm(47mm/1h) 284mm(57mm/1h)  112mm/1時間
浸水面積 85ha                           4ha                    ー
浸水家屋 3117戸        46戸          3591戸

 一方、東京都建設局は平成5年の台風11号で浸水した家屋数4706戸という数字も出している。また、東京都第三建設事務所が出した平成19年11月号の災害報告では平成17年9月4日~5日の集中豪雨の被害では浸水家屋3591戸、降雨量112mm/1時間と表示している。たった20日前の8月15日に集中豪雨があったばかりで、その時は296戸が浸水被害を受けている。

 3回の被害を並べて見比べてみると気持ちは複雑だ。
 川には歴史とロマンがあると思い込んでいたからだ。しかし、川は今、経済学が働いていて、あるところで大きな算盤がはじかれている。「神田川に清流を」、耳に心地よい響きのあるこのスローガンも経済行為と表裏をなしている。「洪水から都民の命と財産を守る」。これも美しい響きというだけでなく頑ずるしかないスローガンに聞こえる。老人には過去がたっぷりとあって、未来は残り少ない。老人の利己的な価値は、実利よりロマンに置かれる。老人にとっては、昔は良かったのだ。もう、環七の先には進めない。心が折れてしまった。一気に疲れがきた。

環七通りを方南町に下り、環七沿いのかなり刺激の強そうな
ラーメン屋に入った
この店の自慢料理「台湾まぜそば」
他に激辛ラーメンあり

 環七通りの地下には大きなトンネルがあって、そこには善福寺川の水が貯められてい、時には妙正寺川からも神田川からも水が流れ込んで混じり合って流れている。貯まった水はポンプで組み上げられ、どこぞに流される。それをロマンと思えるキャパシティはない。老化による気力の衰えなのか、考える力を失い、頭はぼんやりとしている。



 神田川に失望した。

 車が途切れることなく流れている環七通りを東京メトロ・方南町駅に向かって緩い登り坂を上がっていった。

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