神田川の秘密発見34の(3) JR飯田橋駅西口は江戸の趣を残している・・?
三十四の(3)飯田橋西口界隈は江戸の面影を残している
外濠を市谷方面に向かうと、カフェ・ショップがある。決して澄明とは言えない濠へ貸しボートで漕ぎ出せる(1000円)。コロナ禍の今、ボートは浮かんでいなかった。濠は四谷大塚を経て上智大学の手前で地図から姿を消す。地下で繋がっているのかどうかは分からない。繋がっているなら、濠の水はここで大きく真南へ向きを変え、赤坂見附付近で再び姿を見せることになる。
濠はさらにその先、永田町へと向かう。ここまで来ると濠は大きくて長い水溜りというしかない。外濠は皇居のお堀とは全く別の系統で繋がりはない。神田川とも水系の関連性はない。水の管理者は外濠が建設省、皇居のお濠は環境省の所管で皇居外苑管理事務所となっている。
かつての江戸・東京では川や濠を埋め立てて宅地を造成するのが価値ある行為だった。今は川や緑地を残すことが住環境にも景観にも価値あることとみられるようになっている。それほどに水や緑が失われたのだ。破壊した後、再生する。いつもの手口と言っては気の毒だが、そう言いたくなってしまう。これを人間の手前勝手な行為と見るかどうか、判定はむずかしい。しかし、人口減少局面に入った日本の都市は、価値の転換期に来ている。東京はその最先端だ。今までとは質の違う価値で街を再生していくことが必要じゃないか、まあ川旅老人が悩むことではないのだが。
JR飯田橋駅西口を出てすぐの右手にセントラルプラザのビルが見える。ビルに向かう駅前道路に出ず、手前の踊り場で立ち止まった。並べられた6基の観光案内板を見た。最初の案内板は飯田橋から赤坂見附までの間にある江戸・明治ゆかりの神社・仏閣、城壁跡と博物館の案内、さらに四谷見附橋や赤坂門跡、半蔵門の案内だった。それに続いて、外堀開削によって移転した寺院の案内、「外濠散策ルート」「江戸城内ルート」の案内板ときて、外濠の変遷、外濠工事の図面、江戸城外濠案内、江戸城案内板ときめ細かな案内が続く。
飯田橋周辺のことが実に丁寧に案内されている。
英語版も付いている。この看板群をじっくり読み込めば、江戸城外濠のことは全部知ったことになる仕掛けだ。全てに英語訳が併記されているところを見ると、新型コロナが蔓延する前、インバウンドによる経済効果を狙っていた名残りだろうか。今となっては昔の物語だ。看板を読み終わるとすっかり疲れてしまった。踊り場のプラスティック塀に肘をついてぼんやりと市ヶ谷方面に目をやった・・・。
そこにあったものは・・・?