今日も我が家は「オスカー・ピーターソンBIG 4」ゴジラ➖1.0マイナスカラー
皆様「おはこんばんちわ」
鈴丸 カエル🐸です。
お寒うございます🙇♀️皆様、いかがお過ごしででしょうか?
いよいよ、寒く12月ですもの!
さて、どう過ごしますか?
我が家はクリスマスツリーまでは用意しませんが玄関に昨年、作りましたリースを飾りました。
今年もクリスマスが迎えられそうです。
こうして一つ、一つ迎えられるといいですね。
さてさて23年も後わずかです。
今年も色々ありました。
何より子供達が先導して色々な楽しい企画に参加させてくれました感謝、感謝の日々でした。
それにしても今年は山崎監督の「ゴジラー1.0」に沸いた我が家でした。
今年の3月初め子供達に誘われて行った「西武園ゆうえんち」30歳を過ぎた娘と息子で二人とも結婚して妻帯者となってまさかの家族水入らずの「西武園ゆうえんち」なんで家族揃ってゆうえんち?と思っていた私。
目的は「ゴジラ・ザ・ライド」主人と息子は「1回は行きたかったんだよ!」とどちらかと言えば私と娘はお付き合いぐらいに考えていたのだと思うのです。
今思うと、まるでスリバチの様な地形の一番高い所にある「ゴジラ・ザ・ライド」そして息子の目的は西武園限定のゴジラのフギュアそしてこの時、かなり空いておりまして「ゴジラ・ザ・ライド」乗り放題!一瞬でハマりました。
家族皆んなで何回乗ったでしょうか?
その時、私は今年の11月にゴジラの映画がやるなんて知りませんでした。
それから娘が参加した「ワンフェス」で映画がやると知り、「やっと日本のゴジラ!」がと暑い、暑い夏でしたが何とかゴジラを目指して頑張って来てゴジラ三昧の日々を送る事ができました。
そして主人と息子が海外でも凄い反響だとまるで我が事の様に喜んでおりましたところ、更に24年1月12日にモノクロゴジラがやると再びゴジラ熱に火がついたのです。
とりあえず、表面的にコロナも落ち着いて新しい年明けにまたゴジラに応援されたような我が家、もうドキドキ、ワクワクしております。
だって白黒ゴジラ、「怖い!」です。
いい感じにスタート出来そうです。
是非!「ゴジラー1.0マイナスカラー」観て下さい。
さて、私達夫婦が若かりし頃よりよく行ったコンサートがありました。
「オスカー・ピーターソン
BIG 4」
何故ならギタリストのジョー・パスさんが大好きな主人、もちろんオスカー・ピーターソンももう神様みたいな存在、そしてベースのニール・ヘニング・オルステッド・ペデルセンもカッコイイ!身長が高くガタイも大きくてウッドベースが小さくみえる。
ドラムにはマーティン・ドリューさんでした。
初めて行ったのがNHKホールでした。
その頃、ネット環境も無く知らなくてわざわざ行って何故か中止になっていて「騙された」と思ったのでした。
それからしばらくしてやっと観ることができたのでした。
それから何回観に行きましたでしょうか?
オスカー・ピーターソンもお歳をめしてきて車椅子の時もありました。
だんだんと前半をギターとベースで後半にピーターソン登場というのが定番になっていました。
ピーターソンの曲も穏やかで彼の独特の間がとても好きでした。
ある時、私が二人目の子を妊娠していた時に宇都宮の文化会館に「BIG 4」が来た時がありました。
上の娘が2歳になったばかり主人の母が預かってくれるというので何年ぶりかのライブコンサートへ大きなお腹で出かけたのです。
もしかしてジョー・パスに会うことが出来たら?と主人と出待ちをしていたら係りの方に「ピーターソンはサインはしませんよ!」と言われてしまい外へ・・・
その日はみぞれが降る寒い日でした。
すると、なんとなく居た私達のそばにスーッと大き目なタクシーが止まり窓が静かにおりて中になんとオスカー・ピーターソンさんが、私に何か喋りかけてくれてサインのジェスチャーを主人が持っていたレコードとパンフレットを渡すと心よくサインして下さったのでした。
そしてにこやかにさよならしたのです。
本当にピーター・ソンさんは気軽にサインなどしてくれないと聞いておりましたのでまさかの出来事でした。
しばらくなんて言ってくれたのかボーっと考えていて、時が止まったように感じていたのでした。
今でも優しい瞳が忘れられません。
その後、彼はカナダ出身なのでミュージシャンの集まる老人ホームに入ったらしいと聞いた事がありました。
そして若くしてベースのペデルセンが亡くなり、ジョー・パスも程なくお空へと旅立たれ彼らの音楽も生で聴くことができなくなりました。
仕方ないです💧それだけ私も歳を重ねているのですから・・・
温かい笑顔のピーターソンさんの思い出が私の宝物になりました。
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