悪魔的一人称じてん
わたし、あるいはぼく、最近一人称が安定せず困っている。一人称における個人的な辞典をつくり、どの人称がいいのかの吟味が必要と、わたくしは考えましたわよ。
・私
無難。あまりにも無難なため、フラットで冷たい印象さえ抱いてしまう。ジェンダーレスなので使いやすいが、おかげで語り手の性別がわからないことがある。
・わたくし
お嬢様を演出できる。が、ホントのお嬢様は当然ながら使わないため、逆説的にわたくしのような平民が使うこととなる。オホホと笑わなければならない。
・僕
オーソドックスに見えて実は難しい。僕は、僕なんて使えるの、村上春樹と線の細い物憂げな文学青年だけだと思う。でもまあ、それでもいい。
余談。僕が中学生の頃、同級生の女の子がこの一人称を使っていた。おかげさま。僕は僕っ子で抜けなくなってしまった。やれやれ。
・俺
これまたオーソドックスに見えて難しい。文章でこれを使う人間は偉い。文章において俺を使っていいのは、ラグビーをやっていた、二十代の成績部署内トップ営業マンだけだ。
余談。俺が高学生の頃、同級生の女の子がこの一人称を使ってやがった。馬鹿野郎。俺は俺っ子で抜けなくなった。彼女は、高三の夏にようやく一人称を私に変えた。馬鹿野郎。遅いってんだ。
・自分
ビジネスシーンで使ってはいけないらしく、それだけで価値が急落する類の表現。自分、自分という一人称、結構硬派で好きであります。
・(自分の名前)
くらもとは思うんだけど、コレ一人称の人間って、大体ぶりっこなんだよねえ。
・ウチ
え、ウチもそれ思ってた! やっぱくらもととは気が合うわー、うちっちズットモっしょ。――はー。アイツどっかいったよ。てかさ、自分は名前を一人称で使ってもぶりっこじゃないとか思ってんのかな。それ普通にメッチャ痛くね? ギャハ、ウケル。
・ワシ
ワシはのお、こんな一人称は、おじいさんしか使わんと思うのじゃ、ふぉふぉふぉ。実際爺さんが使うと、あまりにもありきたりでキャラが立たないのじゃ。
・ワイ
この一人称に似非関西弁を混ぜれば、ほいよ。この世で一番ユーモアセンスのない人間の完成や。恋愛サーキュレーションでも一生聴いておくんやで。辛辣で草ァ!
・朕
死に際に、「朕のちんちん」というために使う。それ以外でこれを使う人間はいない。人間宣言に失敗している。
・おいら
毛深い動物の子どもが喋るときによく使われる。おいらは使わないぞ。だって、おいらは動物じゃねえんだもの。
・おいどん
ツイッターで見て噴き出してしまった人称。薩摩藩士が使う以外に、正解はのうござんす。
・吾輩
猫以外に使う人間はいないことが知られている。つまり、これを使う人間は猫である。この一人称は名前を圧倒する大きさと珍妙さがあるため、使ったら名前を失う。ゆえに名前はまだないなどと言うことになるのだ。
・あっし
ダンナ、あっしは思うでゲス。こんな一人称を使うやつはぜってえ小物だって。ダンナはそうは思わんでゲスか?
・漏れ
拙者は漏れなんて時代遅れだという考えが拭えないですな。ヲタクの最前線はやはり「拙者」ですぞ。漏れは流石にゼロ年代の異物!(キリッ
・拙者
拙者、駿河国から馳せ参じた武士なりき。という武士か、オタク以外に使っている人間がいたら、それは国宝だ。
・愚僧
坊さんがよく使う。愚僧、拙僧。ホントにそう思ってる?
・我々
一人なのに群体。レギオン。「我が名はレギオン、我々は、大勢であるがゆえに」(マルコ5:9)
・麻呂
癪に触るし、シャクを泥棒しそう。
・弊
ツイッターで見て笑ってしまった。流石に変だ。弊というより、変。
・おれっち
静岡県の方言。たまごっちではない。ちなみにおれっちは静岡県出身なので、口語だと偶に方言で使ってしまい、えらい恥ずかしくなる。やっきりすることもある。ま、しょんないら。うちっちの方だと、これが普通。そうだら?
おわりに
と、わたくしたちはここまでいくつか一人称を見てきましたけれど、やっぱり日本語って難しいんですわね。ぼくが思うに、やっぱりそのときのモードで変えていくのが正解だと思う。私、少し思ったのは、やっぱり私が一番、どの場面、どの生活でも使いやすい。わたくし、これからは私を使ってお話をすることにしますわよ。
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