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幸せの作り方

こんばんは。
暑い日が続いて、干物になりそうなアラフォーです。

私は今、幸せだ。

境遇的に、恵まれている訳では無い。

生活保護で、生活はカツカツだし、精神疾患持ちで、毎日、体調も悪い。

それでも、幸せだと思えるのは、私は、私を変えようと努力して、それの結果が出たからだ。

泣きながら始めたトイレ掃除は、本当に辛かった。
私は、強迫性障害も患っており、極度の潔癖症だ。
汚れに対する嫌悪感が酷いが、特に、トイレは、1番汚いところで、それを掃除するのは、断頭台に立たされる位、嫌な事だった。

両親を亡くし、姉からの家庭内暴力からどうにか逃げ、一人暮らしを始めて数ヶ月経った3年前の冬、年末の年越し、孤独と空腹と寒さで、今まで私を支えてきた何かが、崩れる音がした。

周りの家からは、幸せそうな笑い声と、ハッピーニューイヤーと祝い合う声が聞こえた。

あー、生きていて、何の意味が有るんだろうか。早くお母さんに会いたいよ。

そう思って、いつを私の人生の終わりにするか、を考えて過ごす日々だった。

でも、例えば、私が死んだら、誰が後始末をするのだろうか?

姉は、一切しないだろう。私の亡骸に向かって、葬式や遺品の整理が迷惑だのなんだのと、喚き散らすだろう。死んでまで怒鳴られるのは嫌だ。

頼れる親戚も居ない。

天涯孤独の私に、花を手向けてくれる人も居ないだろう。

供養もされずに、あの世で寂しい思いをするのであれば、この世もあの世も同じだ。

それなら、まだ、取り敢えず、何か食べることが出来るこの世にいた方が、マシ。

そう思って、生きてみることにした。

それと、やはり、命を無駄には出来ない。

両親が、生きたくても生きることが出来なかったからだ。

両親の無念を晴らす為には、何が出来るだろうか?

私は、私を変えようと、努力することにした。

そして、1番苦手だったトイレ掃除を始めることにした。

何かを始めれば、何かが変わる。
何も始めなければ、何も変わらない。

信じられるのは、自分だけ。

そう思って努力を積み重ね、トイレ掃除という強敵を、克服した。

一つの課題をクリアすると、次の課題が見えてくる。

目の前にある課題を、ただひたすらに、乗り越えてきた。

努力を積み重ねて、見えてきたもの…それは、自分自身の成長だった。

今は、外出は支援が無いと無理だが、家事は、殆どのことが出来る様になった。

ただ、調理は、作る度に不味くなるので、休戦中だ。食事や買い物は、ヘルパーさんが来て支援が入るので、助かっている。感謝。

私は、自分の為だけに人生があると思っていたら、とっくに死を選んでいただろう。

小学生の時に、酷いいじめを受け、職場でもいじめられ、人生で楽しかった時なんて、あまり無かった。

そんな、辛いだけの人生を、それでも続けようと思っていたのは、両親が大好きだったからだ。

私は、両親、特に、母の為に生きていた。

その両親も亡くなり、私を精神的に支えていた糸が、あの時、プツンと切れる音がしたのだ。

だけど、母は生きている、天国で。目には見えないけれど。

確実に、自分の中に、母は存在しているのだ。

母の為に頑張るんだ!と自分を奮い立たせて、どうにかして、ここまで来れた。

母は、人の為に生きた人だった。

私は、その母の意志を受け継ぎ、私と同じように苦しんでいる人を助けることが出来る人になれる様に、日々、努力を積み重ねることにしたのだ。

まだまだ、人を助けられる状態には、程遠いけれども、努力を続ければ、道は開けてくる。

私は、私を信じて、時には、腐りながら、それも、進む為の必要な過程だと捉え、今日も、前に進むのだ。


苦しみの中での発見

精神疾患だけでなく、全ての病において、苦しんでおられる方は多いと思う。心中をお察しします。

苦しみの渦中で、光が見えず、絶望の淵に立たさせれている人もいるかもしれない。

さぞ、お苦しいことだろう。胸が痛む。

皆、頑張って生きていると思う。

必ず、光の差し込む日が来る。

私は、精神病を患い、13年。

でも、今は幸せだ。

今、辛くても、きっと、幸せを見い出せる時が来る。

その時が来るのは、生きていないと分からない。

死んでしまっては、今の苦しみのその先に待っている幸せを掴み取ることは出来ない。

人生は、先のことなんて、分からない。

不安でいっぱいで、押し潰されそうになったとしたら、不安で過ごす日も、幸せを感じる日も、同じ一日だと感じてほしい。

どうせなら、幸せを感じる日を積み重ねていきたい。

どんな些細なことでも、幸せの種を見つける努力を続ければ、幸せを掴み取ることが出来る。

不幸も幸も、心次第。

一つしかない、ではなくて、一つある、と思えるようになりたい。

そして、人と比べない。

皆、それぞれ、違うのだから、比べても、意味が無い。

苦しんだ人にしか見えない、大切なものが、見えてくる時が来る。

その素晴らしい未来に心を馳せて、日々、少しずつ進める自分でありたいと思う。

拙い文で、心苦しいが、些かでも裨益するところがあれば、幸甚である。














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